木下 龍一(再生研究会理事) 祇園祭──山鉾の車輪づくりに立ち会って 楽町楽家が終わると、長雨の本番、そして例年の如くじっとりとした暑さと共に祇園祭がやってくる。京町家再生研究会では、京町家ネットのメンバーに呼びかけながら2年連続して祇園祭山鉾構造調査を行ってきた。今年も、(財)祇園祭山鉾連合会からの声がかりで3年目の山鉾構造調査を予定しており、7月10日頃から鉾立ての機会に蔵出しされた山鉾の部材を採寸して記録し、その後、組立て作業や巡行を視察し、各部材の実際の役割や動態機能を確認して、次代に継承していくための図面化作業を行う予定である。
実測調査によって描写する設計図とは違って、外観から予想しがたい古車輪を解体してこそ見える各部材の形状、ホゾ、仕口等の継手の仕事、あるいは、それらの動きや遊び寸法等、制作に携わる職方の工夫を目の当たりにすると、町家のような伝統建築によく似通った生きた職人技と深い知恵がそこに充満している事に驚かされる。 鶏鉾の車輪は、鶏鉾会の皆様が一昨年より、岐阜県高山市の宮大工の工房に発注していて、私達も彼地の製作現場に監理に出向くことになった。そこでは、未だ伝統技術を持つ職方が巾広く活躍されており、全国の祭山車の復元修理工事が集中的に行われていた。おかげで、他都市で催される多様な祭山車の車輪と比較しながら、伝統技術を見聞できた事は当方の幸いではあったが、その際、京都という地場での伝統技術の維持継承について深く反省をせざるを得ない心境に至ったことも事実である。次の車輪製作時期が50〜100年後になるとすれば、果たして京都での技と場の継承はいかようになっているのだろうか。一方、船鉾の車輪は、京都市内の町家大工の工房で製作されていた。同じように、材料確保のこと、鍛冶職のこと、様々な問題を抱えながら、祭の伝統を維持するために努力している棟梁の熱い言葉が耳に残っている。 振り返って考えてみると、町家の保存・再生の中にも、同様の技術の継承問題が山積みであり、都市環境そのものが、伝統構法や技の継承を防げる要因にもなっている。私達は、都市祭礼の存続のために、可能な支援活動を展開しながら、日常的、抜本的に京都という場所でのモノづくりやヒトづくりについて思いを巡らさねばならない。 2008.7.1 |