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京町家再生研究会
木下 龍一(再生研究会理事)

祇園祭──山鉾の車輪づくりに立ち会って
 楽町楽家が終わると、長雨の本番、そして例年の如くじっとりとした暑さと共に祇園祭がやってくる。京町家再生研究会では、京町家ネットのメンバーに呼びかけながら2年連続して祇園祭山鉾構造調査を行ってきた。今年も、(財)祇園祭山鉾連合会からの声がかりで3年目の山鉾構造調査を予定しており、7月10日頃から鉾立ての機会に蔵出しされた山鉾の部材を採寸して記録し、その後、組立て作業や巡行を視察し、各部材の実際の役割や動態機能を確認して、次代に継承していくための図面化作業を行う予定である。


鶏鉾車輪(組立)
 平成19年度には、老朽化した鶏鉾と船鉾の車輪を新調する計画があり、当会はそれまでの構造調査の実績に基づき、重要有形民俗文化財保存修理工事の設計監理業務を委託されることになった。直径約2m大の大きな木車輪は、4輪で山鉾の10数トンもの重さと、高さ25mを越す、ゆれ動く鉾を支えながら移動する役割を担い、道の凹凸や、坂・カーブの変化に耐えて、約50〜100年の寿命を生き長らえたものである。しかし、近年では道の舗装面の硬さや、辻廻しの摩擦、あるいは「かぶら」による制動操作により車輪の寿命はだんだん短くなっているという。

 実測調査によって描写する設計図とは違って、外観から予想しがたい古車輪を解体してこそ見える各部材の形状、ホゾ、仕口等の継手の仕事、あるいは、それらの動きや遊び寸法等、制作に携わる職方の工夫を目の当たりにすると、町家のような伝統建築によく似通った生きた職人技と深い知恵がそこに充満している事に驚かされる。


 円形の車輪は、図のように、周囲7組の大羽と同数の小羽を内外ずらしながら連繋させてできており、中央の車軸受けの轂と21本の輻で結合されて、車軸にかかる重力を道路面に伝達する。大羽・小羽そして輻は、西日本や四国・九州の丘陵地に育つ赤樫の木を用いて作られる。また、車軸中央部の轂は、日本全域、特に北陸産の円く形の良い欅材が用いられ、それぞれ10年以上ねかせた乾燥材が使われ、それらの木取りと製材法が決められている。この車輪用材は、用途が特殊で、限られた数量であるため、山鉾保存会の皆様も材料を揃える時期と捜索方法にいつも気を砕いているという。轂中央部にはめ込む。という金物や、周囲に焼きを入れて叩き込む箍という鉄輪を制作する車鍛冶の仕事も現代社会では稀少な仕事となっている。町中で、コークスや「吹子」を使う仕事場を維持できなくなってきた事と、社会に遍在した鍛冶仕事が、激減している事も否定できない。

 鶏鉾の車輪は、鶏鉾会の皆様が一昨年より、岐阜県高山市の宮大工の工房に発注していて、私達も彼地の製作現場に監理に出向くことになった。そこでは、未だ伝統技術を持つ職方が巾広く活躍されており、全国の祭山車の復元修理工事が集中的に行われていた。おかげで、他都市で催される多様な祭山車の車輪と比較しながら、伝統技術を見聞できた事は当方の幸いではあったが、その際、京都という地場での伝統技術の維持継承について深く反省をせざるを得ない心境に至ったことも事実である。次の車輪製作時期が50〜100年後になるとすれば、果たして京都での技と場の継承はいかようになっているのだろうか。一方、船鉾の車輪は、京都市内の町家大工の工房で製作されていた。同じように、材料確保のこと、鍛冶職のこと、様々な問題を抱えながら、祭の伝統を維持するために努力している棟梁の熱い言葉が耳に残っている。

 振り返って考えてみると、町家の保存・再生の中にも、同様の技術の継承問題が山積みであり、都市環境そのものが、伝統構法や技の継承を防げる要因にもなっている。私達は、都市祭礼の存続のために、可能な支援活動を展開しながら、日常的、抜本的に京都という場所でのモノづくりやヒトづくりについて思いを巡らさねばならない。

2008.7.1