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京町家再生研究会
宗田好史(再生研副理事長)

倉敷町並みゼミ──つなぐのは町家・町並みの美しさ

 この9月20日から3日間にわたって倉敷市を中心に高梁、浅口の両市と矢掛町で、第36回全国町並みゼミ倉敷大会が「つながる地域文化の伝統と創造、備中の風土力の発信」をテーマに開催された。京町家ネットからは、小島理事長はじめ7名が参加し、分科会などで報告した。

 町並みゼミは1978年に、名古屋市の有松と現在は豊田市に編入された足助で第1回が開催され、36年間全国各地を回った。歴史的集落・町並みの保存について、住民・研究者・行政担当者ら関係者が年に一度、一堂に会し学びあう交流を35年間続けてきた。

 1975年の文化財保存法改正で伝統的建造物群保存地区制度が創設されて38年、さらに増加の勢いとはいうものの、全国104の重要伝建保存地区が選定されたに過ぎない。それを推進する町並み保存運動も、21世紀になって景観法や歴史まちづくり法が整備されたとはいうものの、全国に1,742の自治体がある中、町並み保存の取組みはその一部に限られている。美しい国づくりと唱えつつ、アベノミクスでひたすら公共事業を待ちわびる自治体の方が圧倒的に多いだろう。歴史的町並みを保存している町でも、すぐ脇で高層マンションが建つことを止められないでいる。現代の都市には調和のとれた美しい町並みなど無用だと言わんばかりである。今回の町並みゼミは36年間の成果を挙げつつも、一部の保存運動に留まり、一向に広がりを見せない町並み運動の限界を再確認するものだったと思う。

 倉敷大会では7つの分科会が用意されていた。(1)まちの歴史的資産活用と観光−おもてなしでつながる地域と来訪者、(2)伝統的な町並みと周辺環境を考える−町並み保存地区と周辺地区の景観のつながりを考える、(3)町並み保存・活用の望ましい方向−町並み保存と市民とのつなぎ、(4)まちなみを活かし、暮らし続ける−歴史・くらし・ひとのつながり、(5)町家の再生と利活用−未来へつなぐ町並み、(6)町家の活用による伝統文化の再生と伝承−文化を次世代につなぐ、(7)歴史的町並みを活かした賑わいのまちづくり−道・にぎわい・町家をつなぐ、である。大会テーマでもある「つながる」で共通し、「町家」が二つあり、他は観光、周辺環境、暮らし、賑わいが個別の課題、なかなか広がらない町並みづくりの限界が様々に語られた。つながらない諸問題を分科会に分けて語る時点ですでにまずい。残念ながら、全体報告会でも肝心のつなぐための議論はなく、つながらない理由の検討も示されたわけではない。

 でもな幸いなことに、主会場の倉敷の人々はよくつながっていた。倉敷伝建地区を守り育てる会、倉敷町家トラストを中心に吹屋(高梁市)、鴨方(浅口市)、矢掛(町)の保存会に歓迎交流会場として特別に受け入れてくれた大原美術館の皆さんは、連携よくおもてなしぶりを発揮してくれた。実際、倉敷の美観地区は孤立することなく、日々広がりを見せ、地区周辺商店街でも修景が進んでいる。地区内には、まだ没個性の観光商店が多いものの、倉敷ジーンズ、帽子、備前焼、カーペット(MUNI)等の地域の個性に富んだ店が増えている。単なる観光地から倉敷の今を見せるホットスポットに転換しつつあるように見える。町並みを守ったことで、そこに町の未来を見出した人々が、ゆるくつながりながら、美しさという共通のテーマで力を合わせているように見える。確かに、倉敷の伝統と風土力だということもできる。しかし、まだ少数ではあるが、創造的な活動をする人々が自由に発想し活動する新しい文化的な雰囲気が育ちつつあるように見受けられる。この自由さが人を引き付けているのだろう。若いアーティストが住み着いてきた。保存された美観地区は、大都市の盛場と違い、成熟した感動の場に変わりつつある。

 この10日後、隠岐の島の海士町で「日本で最も美しい村連合」のフェスティバルに講演に招かれた。1982年にフランスで始まった運動は世界5ヶ国に広がり、日本では7町村から始まり、9年間の活動で資格審査を通った最も美しい村は54地区に増えた。中には原発被害を受けた飯館村(福島県)のように厳しい状況にある村もあるが、海士町(島根県)は2,352人の町に5百人近いI・Uターン者を集めた町もある。I・Uターン者用の課を設け、島内での暮らしを支援している。町のスローガンは「ないものはない!」。自然があれば何もいらないという意味とないものを悔いても仕方ないという意味があるという。海士町にはないものはないという認識を共有する内外の人々が、日本で最も美しい島をより美しくする暮らしを生きようと小さいものの元気な力を合わせている。

 全国の町並み保存地区の大半は過疎に悩む衰退した市町村にある。高度経済成長期に始まった町並み保存運動は、初期には開発圧力から失われゆく伝統的町並みを保存する抵抗運動だった。しかし、40年を経た現在の日本は大きく変わった。まだ少数派とはいうものの、特に若い人々の中に痛切に美しい町や村を望む人々が増えている。混沌とした現代社会の中では、目に見えるつながりをもたない美しさを求める人々が、町並みや村の姿にそのつながりを見出す動きが出てきている。思えば、私たち京町家再生研究会も京町家の美しさに魅了されたことから始まった。暮らしに美しさを痛切に求める意識を全国の人々の心の中から掘り起こす役割の重要性を意識している。

2013.11.1