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京町家再生研究会
小島富佐江(京町家再生研究会理事長)

京町家逍遥について

 京都の往来が変わってきている。一日の中で外国語を聞かない日は無いほどに海外からの観光客が増えた。ホテルも急増しているなか、町家も宿泊施設としての利用が多くなっている。多くは簡易宿泊所。家一軒の鍵を宿泊客に預けて泊まれる町家も増えた。かつて大阪で万国博覧会が開催されたときに民宿が急増したと聞いていたが、2020年のオリンピックまで、このような状況は続くのだろうか。

 町家を宿泊施設にしたいという相談案件がふえているのも、昨今の京都の状況からは当然のことと言えるのかもしれないが、本当に大丈夫なのだろうかという危惧もある。それは単に建築基準法など法的な整備だけではなく、これまでのコミュニティの中での立場が全く違った形になっているというソフト面での心配である。

 町家の再生、利活用については、いろいろな案が検討されている。もちろんまちなかの家、商いをして、生活をする場としての利用が最適、あたりまえなのは誰しも理解していることではあるが、老朽化、維持管理費などを踏まえて、なにかそこから生み出されるものを考えないとその家の存続が大変になってきている。かつてはそこでの商いから生み出されるものでその家を維持していたのではあるが、昨今なかなか難しいことになってきた。特に大型の町家については居住者の減少、高齢化、相続など家の継承に支障をきたすことも多い。ここ数年で大型の町家が瞬く間に減少したのも、それらの理由が大きいと考えている。

 大型の家が壊されると間違いなく集合住宅が建つ。あるいは暫定の利用としてコインパーキングができる。まちなかの景色は数年で驚くほど変わってしまっているが、このままではなく、まだまだそれらの予備軍が控えている状況である。

 観光をこれからの経済戦略の目玉として打ち出しているのにも関わらず、その一番大切な景観についてはどこからも整備の声は上がっていないように思える。相変わらず電線はみごとなほどに通りを縦横無尽にわたり、ファサードはまちまち、まちなかですら家の前に駐車スペースを構える郊外型のデザインが横行している。土地建物は個人の持ち物、どのようにしても個人の権利という考え方は、本当に私たちのまちの為になっているのだろうか。個々が勝手なことをすればするほど、土地の魅力は失せていく。ここ数年のまちなかの様変わりに、都市のあるべき景色を本気で考えなければ、まちなかは魅力を失ってしまうだろう。大型の町家は都市の景色を考えるときには大きな要素となるが、その大型の家が次々と消えている。わずか2、3年の間につじつじの立派な町家が瞬く間に取り壊されてしまった。いまも解体を待つ家があると聞く。前述した通り、維持管理、相続等、家の規模が大きくなればなるほど抱える問題は大きく、簡単には解決できないが、手をこまねいているわけにはいかないと思う。

 先だってボストンを訪れたときに、チルドレンミュージアムの中にある2階建ての町家を見学した。ビルの2、3階を抜いて建てられている。京都のまちなかから友好姉妹都市であるボストンに贈られた町家である。ボストンの子どもたちが訪れ、日本のこと、町家の暮らしを学ぶ場として使われている。建てられてからは30数年になるが、大切に扱われ、折りに触れメンテナンスが施されている。さて、京都にはこのような場所があるのだろうか。町家を公開されているところは増えているが、残念ながらボストンの町家のような場はいまのところ京都には見当たらない。こどもたちが身近にふれることのできる場所をどこかにつくることはできないのだろうか。京都だからこそできる環境を考えてみたいと思う。手始めに、町家を見ていただき、その環境を体感していただく機会を秋に作ろうと企画を進めている。昨年までは「楽町楽家」の催しを通して町家を感じていただくことをしていたが、もう一度原点に戻り、京都の町家のいいところ、環境に身近に接していただくことを考えている。比較的に規模のある町家を舞台にして、暮らしの文化を楽しんでいただけるよう趣向をこらしたいと思っている。

 いくつかの町家が連携し、多くの方々がその町家を巡る。音楽やお茶を楽しみながらそぞろ歩き、会話を楽しむという一日。「京町家逍遥」と名前をつけ、京都の人も観光客も、老若男女、それぞれの興味にあわせて町家を訪ねる。このような日が年に数日あってもいいのかもしれない。今年の秋(10月18日、19日)に試運転をし、来年のスポーツ・文化・ワールド・フォーラムの折りにも町家を巡る催しを企画しようと考えている。

 大型の町家を今以上に失うこと無く、どのように継承していくのかということについては、早急な対応が必要であると皆の意見が一致しているが、適切な取組はまだまだ模索中であり、居住者、所有者に寄り添った対応が見つかっていないのが現状である。その家の個性を失わせず、その家らしい使い方を見いだし、継承できることが理想であるが、どのような方法があるのか、秋の催しを通してもう一度考えてみたいと思っている。

2015.9.1