お悔やみ 望月秀祐氏をしのぶ 平成4年7月17日、祇園祭山鉾巡行の日に京町家再生研究会を結成し、初代会長を務められた望月秀祐氏が平成25年2月22日亡くなられました。5月例会では「望月さんをしのぶ会」を開催し、設立当初のいきさつや個人的な思い出などが語られました。当初の意気込みが窺える、望月さんの文章を紹介しましょう。最初の再生研紹介リーフレットに記載されていたものです。
しかし、戦後の京都は、他の大都市と競うように、旧洛中の近代化を押し進めた結果、戦災を免れた貴重な伝統的町家が軒並みに壊され、京都らしさを象徴する町家町が無惨な姿を呈するに至りました。 このように、いま、京都のまちは、まちづくりの重大な転換期に立っています。京都のまちが京都らしさを失うことは古都消滅につながります。市も市民も本気になって「まちづくり」の見直しを考えるようになりました。 私たち京都の建築にたずさわる有志は、この京都の無惨な現状を憂え、急ぎ相寄り、意見を交わしました。その結果、京都を特色あるまちとして残していくためには、まちの近代化と京町家の再生、そして両者の共生が絶対必要であるとの結論に達しました。 去る7月17日(平成4年)、私たちは鉾町の一角で「京町家再生研究会」を発足させ、京町家を保存し、修復し、または近代町家化すること―京町家再生―の担い手となることを決意しました。そしてこの会は、単に調査研究にとどまらず、実地に実践することをも目的としています。 京町家は市民すべての大切な財産であります。市民のご理解とご協力がなければ、「京町家再生」はできません。また、行政の強力なテコ入れも不可欠です。加えて、地元企業はじめ全国企業からの社会還元事業としてのご支援なしには、確かな進展は望めません。 私たちは市と市民の中へ入って仕事をしていきたいと考えます。ここに市民並びに企業各位の、絶大なるご支援をお願い申し上げるものでございます。 当時は京町家という存在そのものが市民に認知されているわけではありませんでしたが、この20年あまり、望月さんが目指していたものがいろいろな形で実を結んでいます。望月さんが掲げておられた未来像こそ、再生研に残してくださった一つ目の礎です。 二つ目として、組織の編成があげられます。実践を重視し、再生事例を積み重ねてきましたが、司法面に詳しい専門家も加えて、それぞれの事例に対処してきた実績があります。これらを研究会という名称でおこなってきたことに大きな意味があります。実態を知り新しい手立てを考えるため、常に調査研究を進めてきました。このバランスは再生研の大きな特徴であり、市民の支持を得るために不可欠なものであったといえます。 三つ目として、設立10年目に「何事も10年をめどとしてやってきたので、後進へ譲る」といさぎよく会長を退かれたことがあげられます。未来を見据えて、最初の10年間に、次の世代がやるべきこととして、いくつかの布石を打っておられました。そしてその後も私たちを静かに支え続けてくださいました。 町家をめぐる社会的状況は大きく変化しています。そのときどきにできる最善のことに力を尽くし、未来へ残す町家を一つでも再生していくことがなによりも重要であることを望月さんは教えてくださいました。「しのぶ会」は、もう一度原点に立ち返り、次の世代へとつなげていく気持ちを確認する機会となりました。あらためてみなさまのご協力をお願いし、望月さんのご冥福をお祈りします。 |
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