「アートと考古学」展に京の土壁≠展示する ![]() ![]() 方丈広間 3つの盆には、大津波被災地の欠片、縄文の陶片、そして現代のカケラが並置されている。正面卓上には、信楽の白土で焼かれた書物状のオブジェが3つ並び、中の電球が発光している。 ![]() 壁面パネル:町家の描かれた絵巻物 右下:土壁色見本 左下:左官道具の展示 ![]() 土壁パネル 表面 竹木舞にジュラク土を2層重ね、大阪土を上塗りする ![]() 裏面 左官道具と土壁の色見本 青・赤・白・黒 そして中央に黄土を四神相応に配列 年が変わって3月21日、プレイベントとして建仁寺両足院で連続開催されていた多聞会「アートと考古学」シリーズ第5回に参加する機会を戴き、文化博物館の村野正景氏はインカのピラミッド修復と、中国の住居遺跡について話され、私は京町家の生成から地域に生き続ける町家の暮らし、更に改修作法について話した。 その後の対談で、町家の改修には、石や木や土という自然素材を用いて、伝統工法をみにつけた職人達と協働して行うが、遺跡修復の場合はどうか?特に「アートと考古学」でアートを扱うアーティストと遺跡修復の職人との違いはどうか?尋ねた。村野氏の話では、以前アメリカの技師が石と土で出来たピラミッドをコンクリートで固めて修復したが、ある時全て崩壊した、地元の土工や石工が伝統工法でやる様になって、より確かな修復が可能になったという。更に、この土や石を扱う職人の仕事は、広義のアートであり、幸せや喜びを求めて行う人間の基本的な行為だとの考えを述べられた。司会を務めていた安芸氏も、考古学の扱う土や木、ガラス片や、ペットボトルを再び現代アートに造形するアーティストと職人は、同列視するという考えを表明され、私自身胸のつかえがおりる思いであった。 「アートと考古学」展のタイトルは、[Garden of Fragments (カケラ達の庭より)]と命名された。広い方丈の広間正面には、素材からカタチへという時間を表わすインスタレーションがある。仏間正面には、日米作家の往復書簡を左に、正面卓上には、真珠湾、広島、長崎、アメリカの原爆実験地、福島の5ヶ所で採取した土を使った書物形状のオブジェが並び、その右側には、5種全ての土を混ぜて焼いた器の中に、現物の土を入れ、鑑賞者はその土に触れてみる仕掛けになっている。あたかも、仏前にて白い光に包まれながら焼香を行い、死者に祈りを捧げるように! 仏間に向かって左右に作事組が制作した和紙と京土壁の大パネルが見える。その前には、オランダ人考古学者が日本各地で出土した黒曜石とヒスイのオブジェを並べ、人とモノの昔からの関係をモノに触って考えさせる展示をしていた。 土壁パネルは、一間四方の杉木枠に竹木舞を編み、荒土、中塗土、上塗土を三層に塗る工程を表現しながら、左上に正方形の小窓と、右半分を大きく塗り残し、室内や庭園の光を透かし見る事が出来る。土の存在感と薄壁のしなやかさを、同時に感じることができる。襖溝にはまる木建具の仕掛けを沢辺洋氏が行い、2ヶ月を労して入念な土壁を左官棟梁の萩野哲也氏が製作した。町家の土壁の作法が一目瞭然でわかる事と、建具に納めた薄壁が前後にたわみ、揺れ動く事で、土壁の構造上の役割を鑑賞者に伝えている。奥には、中世末の「年中行事絵巻」と近世の「洛中洛外図屏風」をかけて、町家の変遷を解説する。横には、約20種の左官鏝(こて)道具と京土壁の色見本を展示した。海外からの考古学者達は、鏝の多様さに驚くと共に、5色の美しい京土壁の質感に興味が湧いた様だ。 方丈の左側には、マシューズ氏が東南アジアや環太平洋の国々から集めた、植物を起源とするモノとアートが展示された。植物の心を表現した立体彫刻や床には、安芸氏作の機織図の掛軸が飾られ、東アジアの先史文化と現代アートが共存並置されていた。この方丈からは、広縁、渡り廊下を廻って書院へ、書院から庭を伝って茶室へと向かう事が出来、それらの建物と展示物が桃山時代の美しい庭園に抱かれている。此処を訪れた世界各地から会議に参加した人々と観光客そして京都市民やマスメディアの人達に京の土壁を含めた「アートと考古学」を見られた事後の評をお聞きしたいものである。 <木下 龍一(京町家再生研究会理事)>
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