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京町家再生研究会

ブータンの伝統建築と京町家

末川 協(再生研究会幹事) 
 昨年の12月「インド・ブータンまちづくり専門家招聘」プログラムの一環で、国際交流基金が京町家再生研究会と共催したパネルトーク「ひとを育み、まちをつくる─文化の創造的継承の試み」に参加させて頂いた。南アジアからの8人の専門家の中、ブータン王国内務省、文化特別委員会のお二人とお会い出来た。一年余り前まで、ブータンで設計監理に関わったご縁もあり、懐かしく、「京町家」と「ブータンの古寺名刹」、遥か遠く別々で、時にマニアックな興味の対象としか聞こえないものが、「まちづくり」や「生活文化の継承」を介して、京都でも繋がる不思議なご縁を感じた。
 赴任前の漠然とした期待に違い、日本とブータンは伝統的な町家という切り口では繋がりにくい。ブータンでは歴史的に(そしておそらくは仏教的世界観によりあえて)都市は造られず、伝統的な住宅は農家とそれを基にした大邸宅があっただけで、職住共存の都市住宅の歴史は近代的な道路計画が導入されて以降の50年程度であり、それらが伝統工法で作られていた時期も10年程前までである。今日では形式的な装飾を施しつつもインドから輸入される鉄筋コンクリート造の下駄履き集合住宅が都市部の建築の主流となり、在ブータン中は儚(はかな)い彼の地の町家の歴史を残念に思ったが、今回のインドの参加者のレポートでも通り一遍のビルディングが各地の固有の町並みを壊す様は同じ嘆き方で、京都を含め、地域の固有性の対極にあるものは世界共通だと再認させて頂いた。とはいえ個々の建築を社会共有の財産と考え、新旧の調和を図りながら良質のストックを残そうとする意識についてブータンにはうらやましいものがあり、世界に残るチベット文化圏の唯一の独立国として、固有の言語や民族衣装と同様に、すべての建築物に伝統様式の外観保全が国是と定められている。形式だけを見れば国中が日本の伝統的建造物群保存地区だが、時に工費の20%を費やす外観の伝統様式装飾は各々の彩色文様までが仏教上の意味を持っており、義務や規制以前に、ただ皆が現代建築においてもそれを大切に守っているのである。自分の借りた5階のペントハウスの屋根にもいつもダルシン(経文旗)が揺れていた。結果的に大規模官庁物件や上記の書割のような集合住宅も現代日本の都市景観に比べれば大きく貢献しており、今日の首都の目抜きの町並みもしっかり世界に一つだけの「ブータン」である。

トンサゾン(ブータン)(写真:末川 協)
 ブータンの古刹には中世末からの遺構と考えられるものもあり、また非常に規模の大きいゾンとよばれる城塞化された寺院もあり、世界遺産条約を批准した今後の取り組みが期待されている。しかしここでも、今の日本人の想像の域を超えるほどに仏教が生活規範をつくり、基本的な言動の中に価値を持つ中、そもそも文化財などという概念自体を受け入れにくい状況がある。涅槃(ねはん)に至るまで輪廻転生を繰り返し、その片時を生きる今、功徳を重ね、布施として信仰の対象の改修に携わろうとする人々にとっては、(文化の意味が知識や教養に取り代わった)文化財的凍結保存の論理は奇異でしかない。文物を問わず同時代的な改新や改修が常に繰り返されてきたチベット文化圏の伝統の中で、今日では援助外貨によって伝統的寺院が一新される可能性がある。このジレンマの中で信仰の本質とその対象のオーセンティシティの一致を結びつける論拠は、技術者ではなく僧侶の側から発言されている。
 三年ぶりに戻った京都では、変わらずミニ開発やマンション建築に向けて町家が取り壊される中、驚くほど京町家という言葉が広く行渡り、町家そのものの理解に疑問の残る改修も含めて、一部地域での町家の商業利用が広まっている。同時に工業製品化された住宅や建材への不信や手詰まり感の反対側で、若い人も含めて伝統的な町家に対する直感的な信頼は広がり、伝統工法の再生とともに防火や構造的性能の点では技術的な考察と裏づけも進んできている。流れの両側はどこまで交わっていけるのか、課題を見出すところである。
 大局で言えばブータンでも京都でも伝統を踏まえつつ個別の建築に向き合う行為に変わりなく、また、通りごとの町なみや谷間ごとの集落の有様に向かう立場も同じと考える。市場化、画一化とは逆の情報化、国際化の中で心を寄せ合いながら取り組むべきことは限りないと思う。