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京町家再生研究会

町家の安全性

小島富佐江(再生研究会事務局長) 
 突然、ふってわいたようにマンションの構造の不備が毎日の新聞やテレビで報道されている。設計者や施工者など関係者の道徳観や責任感の無さに憤りを通り越して、あきれてしまった。住まいというのは家族が安心して住める家のことをいうのだと思っていたのに、それがいつ倒壊するかわからないという恐ろしい事態に驚かされている。安全を確認しあうという基本的な行為が失せてしまっていることの恐ろしさを私たちは真剣に考えなければならない。
 今回のことは対岸の火事ではない。先般からもたびたび話題として取り上げているが、昨今の町家の改修には規模の大小はともかくとしても、同じような問題をはらんでいることには間違いが無い。街なかには町家を「おしゃれ」に改修した店舗が今も増え続けているが、本当にそれらの改修が町家のために健全で安全性を考えたものかどうか。とおりがかりに町家を改修している現場に遭遇することも増えてきた。ちょっとのぞいてみるのだが、素人目にもかなりあぶないと思われるものもある。誰がどのように計画をされているのかわからないが、その町家の悲鳴が聞こえないのだろうか。
 通りに面した町家の本来の姿は職住一体。確かにお商売のために使われるのは、その町家にとってはうれしいことには違いないが、今までの使い方とは大きく変わってしまって、設備も大掛かりになっているものを良く見かける。今までは家族と店の人たちの賄いだけでよかったところに、大勢に対応するための厨房設備が作られる。電力も火力もかなり大量になるだろう。お客さんを大勢入れるために広さも要求される。そのためには柱や壁が邪魔になってくる。町家の柱や壁は案外簡単に外れるため、いとも簡単にそれらが取り払われ広い空間が出来上がる。かつて、第二次世界大戦の終わりの頃、強制疎開という措置がとられ、御池通りや堀川通りの町家がたくさん壊されたと聞いている。職人さんが壊すのではなく、一般市民が柱に縄をかけて引き倒したそうであるが、大切な柱を抜くと家は倒れてしまうこともあるということを示しているのではないだろうか。町家店舗を計画されている設計者、施工者の方々はどこまでそのようなことを考えていらっしゃるのだろうか。その責任は思い。
 町家の価値が値段として評価されだし、家賃も高くなってきている。売買されるときも思いがけない値段が言われている。今ある街なかの町家の数を考えれば、希少価値ということになっているのだろう。しかし、それが本当に喜ばしいことだろうか。安易な改修をすればするほど、建物としての安全性は損なわれ、継承すべき建物としての価値は失せてしまうだろう。それは持ち主にとってもいい話ではないはずである。万が一その建物が何らかの事故を起こせば、管理の責任は持ち主にもあるはずで、そのことを考えれば、改修に対してもっと厳しい目を持つべきである。
 既存不適格ということで、改修や改造については安全性の基準があいまいなままでの工事が行われている。構造や防火についての措置は係わる技術者の裁量に任されているのが現実であるが、すべてが熟練しているものとは思えない。せっかくここまで町家の再生ということが評価されてきているのに、安易な改修が事故につながれば、今までの多くの組織の活動は水泡に帰すだろう。
 かつてイタリアの街なかを歩き回ったときに、古い建物が様々な形でいきいきと使われていることをうらやましく思い、町の美しさにあこがれた。きっと京都でも皆ががんばれば、同じことができるとだろうと意を強くしたのだが、今の京都で起こっていることは本当にそのようなことなのだろうか。町家は本当に喜んでいるのだろうか。
 新しい年を迎え、一年の計として、後世に継承できる町家の再生を目指したガイドラインの作成を早急に進めていきたい。京町家再生研究会の仕事はまだまだたくさんある。多くの方々のご協力を節にお願いしたい。
2006.1.1