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京町家再生研究会

町家再生のシナリオへ

末川 協(再生研究会幹事) 
 昨年の6月の全国町家再生交流会から一年、町家の保存・再生・継承を目指す取り組みの展開は目覚しく、京都での課題も大きく共有されてきた感がある。短期の経済的効率優先の流れの中で町家を社会的に守るための市民的な合意の形成と各種大小制度の整備の必要、そして町家の新築までを視野に含める時に、越えなければならない建築基準法とそれ以前の個々の町家との関係の正常化というハードルがある。
 バブル期から20年、容積率の切り下げが職住共存地区指定から都市計画レベルに移ろうとし、都心の開発プレッシャーを法的に抑える動きが始まった。町家ファンドや京町家再生賃貸住宅制度など町家改修への新しい公的資金援助とともに証券化による町家の側からのビジネスベースでの生き残りも試される。景観法により、町家の景観重要建造物指定も行われた。
 町家の保存をめぐる広い議論のために景観法が一つのテコになることには違いない。地区指定や計画策定に本来先立つべきビジョンの確認と共有が必要と思われる。予定調和という言葉で先送ることなく、今と将来の京都の景観を考えるときに、観光資源や文化財的価値、デザインの嗜好を越えた「景観」の意味とそれが示す価値観についての議論、京都で景観を新しく作りたいのか、守りたいのか、現状に問題があるのならば何を改善しなければならないのか、市民的な合意を図る議論が、何を恐れること無く大々的に試されても今の京都の景観がこれまで以上に失うものはさほどないと思われる。
 景観法には指定と規制、補償以外に、町家の住民や所有者の側からのツールも用意されている。個々の市民が私有財産である単体の町家の保存に向けて景観協定を締結し、容積率低減の中、「土地、建築物又は工作物の利用を不当に制限するもの」でないと認可を受け、自主的な町家の存続に対して法的な根拠が量産されれば、個別の地価の抑制、ミニ開発の抑止、町家の商業転用防止への道が開ける可能性がある。市場化の中で町家を守る課題には、町家を元の姿に戻すことも困難なほどの商業利用から町家を守ることも含まれる。
 建築基準法の構造と防火の仕様規定の点で町家が既存不適格であるという課題には、両刃の剣の状況がある。施主と技術者が自らの責任に腹をくくり、もとより基準法の枠内に存在しない町家の手入れや再生は、この数年間である程度の蓄積を見た。故に今日の町家ブームの広がりの中、再生の良し悪しにも責任があり、永久に技術的な課題や、仕事の誠実さを問われることを訴え続けなければならない。外的な基準で建てられたものではない町家の内側には、必要な改修とやっても良い改修、そしてやってはいけない改修がある。厨房設備の設置に無理があればそこからの出火、主要な柱や梁を抜かれた町家がそこそこの地震で倒壊するというシナリオはいつでも実現する。町家の歴史に関する限り、この結果に対して何処にも転嫁すべき上位責任はなく、今後もそれは似つかわしくないだろう。
 実際の町家を振動台で揺らす実験結果も公表された。補強されなかった町家なら最終的にどのように壊れるのか、市街地建築物法以前の町家ならどうなのか、土壁に十分乾燥する時間があればどれくらい効くのか、現実の町家の構造性能評価への関心がこれからもまだまだ高まる貴重な機会を頂けた。町家に似た建物を適法に新築するシナリオも興味深いと思われるが、伝建地区内でもなく歴史的意匠建造物でもなく、景観重要建築物でもないピュアな町家は万単位で京都に残されている。結果の合否判定を急ぐ前に、町家を理解できる未知の構造解析のスキームが開拓されるまで、これまでとおり地道に一つ一つの傷んだ町家の手入れを続ける必要は続く。
 建築基準法がどのような経緯で伝統木造建築の排除に働いたのか、寺社仏閣から路地奥の借家まで京都だけでも十万を越す既存不適格と呼ばれる建築をなぜ生み出したのか、ネガティブな理由もあったにしろバブル経済期を迎えるまで30年以上、それでも多くの既存不適格建築が残されてきた。この20年ではっきりと新しい建築とそれらによる都市が京都に見えた今、それらが本当に数十年待ち望んだものなのか、広く省みても罰は当たらないだろう。
 建築は多くの住み手にとって安くない買い物である。構造計算偽造がまかり通ったマンションに限らず、いつしか身の回りにあふれていた有機性揮発物質やアスベストも孫子の代の命までかけた高い勉強代に思われる。信頼に足る職人や信頼に足る建築のプロセスは基準や制度の上からの権利主張だけでもはや取り戻せる代物ではない。町家から文明の逆流がおこるシナリオといえば大そうになる。しかし、変わらず伝統的な構法で住宅を作る地域も、歴史的都市遺産の保全の理念やシステムも世界の各地に今もあり、そして京都では町家が造られていた近い時代を本流の一つとして学びなおすことができる。

2006.7.1