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京町家再生研究会

変わる町家のご商売──再生研の役割は?

宗田 好史(再生研究会理事) 
 本当の京町家は表屋造の商家、小さくとも職住併用が町家の最低条件と言われてきた。しかし、1998年の町家調査では住宅・事業併用でお使いの方は全回答者の35.6%、事業専用が7.5%、町家の一部を事業所に貸借が1.9%、合計でようやく45.2%、町家でご商売をされている方はすでに半数以下だった。1995年のトヨタ財団の都心田の字地区調査では、町家事業者は52.1%とやや多かった。ただ、住宅と事業併用は33.0%で、中京では町家を事業だけに使う方が多い。その後も職住分離は進んだ。進んでも、仕舞屋や大塀式の町家が増えた訳もない。商家の町家の中身が変わっただけである。

 職業を尋ねた所、42%が自営業者。しかし、2005年国勢調査では都心3区の自営業者は急速に減り20%以下、町家住民にはまだ比較的多いが、それも急速に減っている。自営業者は60歳以上が57%、70歳以上23%と高齢者が多いからである。年金で細々と事業を続けている。業種は小売業が29%で最多、次が伝統産業製造・卸業27%、飲食業は13%、その他サービス業13%の構成であった。田の字地区では卸売業が32%、次に小売業31%、伝統産業製造業25%、ほぼ9割である。
 市内の産業別就業人口でも製造業従事者は2割を切り、全国平均より低い。逆にサービス業が急増した。この20年に染織事業所数が6割以上減ったためである。室町の呉服卸も4割以上減った。京染友禅は1980年代から衰退し、バブルまでは持ったが、その後厳しくなるばかり。生産量はピーク時1968年と比べ2000年に5%にまで落ちた。西陣織の出荷額はバブルで持直し、1990年がピークだが2004年にその18.5%まで落ちた。西陣織工業組合の経営者も1978年の1500人が2004年には630人にまで半減、織子さんも毎年400〜500人規模で減っている。伝統産業の衰退は皆さんご存じだが、減り方は町家以上である。友禅は工程が分かれ、零細な職人さんが多いが、仕事もなく逼塞状態、町家の職は厳しい。
 実は、70年前にも大幅に縮小した。1940年の「輸出入品臨時措置法」第2条「奢侈品等製造販売制限規則」である。1941年に「企業整備要綱」が続き、戦時生産体制強化のため、室町和装卸商は1942年の2,500社から275社に整理され、残ったのは販売実績が年平均150万円以上の問屋だけで他は吸収された。1944年の第二次企業整備で、終に21社にされた。この時は約一年で、今回は約20年で緩慢な業界縮小が続くが、再生できるのだろうか。

 代わりに増えているのはサービス業。小売ではない。1990年代前半に流通革命が起こり、小売業の経常利益率、純利益率が大幅にダウン、コスト削減できた大手しか生き残れない状況で、市内の小売店数は激減した。逆に零細でも成立つのは菓子等の製造販売、飲食、美容等、モノでなくサービスを高く売れる業種ばかり。この大変革が京都都心の商業立地を大きく変えた。それをサービス化とし、また女性の行く店だけが増えたので女性化と呼んで『中心市街地の創造力』(学芸出版社)という本にまとめた。この10年、都心の新規出店の4割以上が飲食、だから町家再生でも7割がレストランになったのである。この変化は、もちろん京都市内だけのことではない。そして背景には我々の暮らしの変化がある。
 この抗いがたい変化の中で、1995年に問屋・友禅職人・小売で9割を占めた3業種が激減した期間と再生研の16年はちょうど重なる。問屋や小売店、職人工房の再生などなく、飲食、製造小売、民宿、ギャラリーと勝組の町家再生ばかりだった。そんな中、理念として店と住まい両方に使う町家本来の姿をどう守るかを議論してきた。ちょっと空しい。
 これだけ変わるといいことも悪いこともある。いいことは、比較的美意識の高い業種が増え町家再生も多少は進んだ。陳腐な看板を付けた商店街の店は減った。悪いことは、商売を畳む時、町家を潰しコインパークに、マンションに売る人が出たこと、ビルに雑多な勝ち組業種が増え、町並みの統一感をさらに崩し、地域社会との関係も崩したことである。トヨタ調査アンケートに「和装の街だから町家の暮らしを大切にしたい」、「町家暮らしと一体の染織の街が中京なのに」とあったことを思い出す。

 今年も祇園祭の季節が近づいた。染織の街だからこその祇園祭である。でも、これだけ事業所が変わったのだから祭の様子も随分変わった。生残った少数の老舗伝統業種だけで支えるわけにもいくまい。だから新しい取組みやルールが要るだろう。設えも新たな地元事業者の皆さんと話し合う必要があるだろう。もはや、織商の号令も届きにくい。
 再生研は今年も山鉾の実測調査をする。木下さんは明倫学区のクーラー室外機覆いを設計した。次は提灯・幔幕か。たった16年間とはいえ、眼に見えないところで変わった街を知り、保存会の求めに応じて設えの知恵を出すことも町家再生活動になる日も近いだろう。

2008.7.1