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京町家再生研究会

ボストンの京町家

宗田好史(京都府立大学) 

展示されている「京町家

 今年は京都・ボストン両市姉妹提携50周年、両市で様々なイベントが開催された。この半世紀間の交流の中でも出色は、世界的に知られたボストン子供博物館に寄贈された京町家であろう。河沿いの倉庫を改造した館内の3階に、1979年(30周年)に西陣から移築した一軒の町家が中も外もそのまま展示されている。

 元倉庫の博物館の天井は高いが、そこに二階屋を収めるために、階高が微妙に、気付かないほど丁寧に縮めてある。設えや家具もそのまま再現され、30年前の我家に戻ったと感じる京都の人は多いという。博物館とはいえ、一軒の家をそのまま展示するのはは世界的に珍しい。それも見事な京町家の展示である。あえて違うところを言えば、博物館だけに、町家の天井からも小さなスプリンクラーが覗いている。

 もちろん、今も移築のご苦労を知る人がおられる。安井杢工務店HP作品群の1979年欄に吉村設計事務所の名と共に写真が載っている。その後も京都ボストン協会のご努力で、最近では2002年、2008年と紫野の元山畳店や全国の健康畳店会員の協力で畳が、またその他の細部も普通の町家以上に手が入れられている。


スプリンクラー

一階座敷

 ボストンの子供たちはこの町家で日本の暮らしを体験する。子供博物館の代名詞でもある「ハンズオン、触れて、感じて、遊んでごらん」の空間である。二階の座敷は茶室風に炉と水屋がある。ボストン在住の日本人や親日家が茶道教室に集まる。しかし、一階は普通の町家、仏壇も神棚もあり、茶箪笥やテレビ、数多くのマンガが積んである。50歳を超えた私には懐かしいというには余りに新しい昭和50年当時の京都の子供の暮らしである。建具も諸道具も丹念に夏の設えが再現され、妙に生々しい。この丁寧な再現にどんな意味があるかは別として、ボストンの子供が触れる町家の暮らしは、少なくとも物的にはホンモノそのものである。
 一方、同じ市内のボストン美術館には著名なコレクションがある。アジア太平洋アフリカ芸術分野が豊かで、特に日本の武具、仏教美術、陶磁器、浮世絵、大和絵が、京都は元より国内のどの美術館より優れているとも言えるほどに揃っている。折よく源氏物語に関する大和絵を展示していた。また、20世紀を通じた陶芸作品のコレクション展示の中には、1927年設立の上賀茂民芸協団のまとまった数の作品群があり、京都でもなかなか見られないほどである。
 この優れた日本美術のコレクションと子供博物館の1979年当時を再現した京町家、この二つの展示はリアリティがあるだけに、何ともいい難い違和感を感じる。丁寧に展示された写楽と、さり気なく置かれたマンガ雑誌、真宗の金仏壇とデコラの卓袱台、それぞれに京都の暮らしの一部であり、現在の京都の文化の様々な断面をよく現している。そこで気になる。ボストンの人々は、この違い、あるいは多様性をどう見ているのだろうか。そして、私たち日本人、あるいは京都市民は京都の生活文化のもつ多面的な側面をどう認識しているのだろうか。
 古いものと新しいもの、過去と現在、和と洋、美術品と民具、古典と風俗、様々な対立概念で整理しても意味がない。これらが混在しながら現在の京都も、多様で混沌としている。この混在が一軒の町家の中にも凝縮している。
 そしてこの混在を一つ一つ整理しながら、最も美しい姿を取り戻す作業が、京町家の再生であることは言うまでもない。再生研、特に作事組の建築家・施工者の皆さんは数多くの作業に取り組んできた。そして、かなりの成功を収めたと思う。
 また友の会、町家住民の皆さんは日常の暮らしの中で、混沌とした遺物群から選び抜いた設えを吟味し、町家に美しく暮らしている。ボストンの町家は優れた木造建築として丁寧に保存されている。しかし、現在の京都で皆さんが暮らす本格町家や再生町家の室内空間の美しさを残念ながらも備えていない。だから住い手の力、美意識は偉大だと再認識できる。これは、町家を愛でる我々の感性の変化でもあるだろう。しかし、この30年に町家住民の美意識が進化したことでもあるとも思う。建築家・職方と住民相互の切磋琢磨の中で磨かれた町家再生の成果であると思う。幹事の私がいうと自画自賛になる。しかし、建築家でも住民でもない私は、そんな皆さんに強い憧れを覚える。
 30年前の西陣の暮らしを切り取ったボストンの町家暮らしの細部は、現在の京都にはもうない。当時、そこで暮らしていたお子さんたちは、もう我々の年代になった。この30年にはいろいろなご苦労があったと思う。そこから現在の町家が再発見され、再生が進んできた。
 歴史都市京都の多様でかつ混沌とした文化的蓄積を日々の暮らしの中に活かすことは難しいと思う。だから、歴史的建造物を再生し、またそこに暮らす人々は、常に美意識を問われている。町家住まいの文化と一言でいう。しかし、これはかなり過酷なことを建築家・職方、そして何よりも住民に強いているのかもしれない。町家再生は保存ではない。多分に創造的な作業である。幸いなことに京都では、それができる人が少なからずいたから、京都は混沌から抜け出しつつあると思う。このことに、一人の日本人として感謝したいと思うようになった。
 帰路ニューヨークで小島事務局長とワールド・モニュメント財団を訪ねた。そのウォッチリストに京町家が掲載された。町家を通じた京都の再生には世界の関心が集まっている。

20 09.11.1