• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会

MFのウォッチリスト──もう一つの町、ショップハウスのペナン

宗田好史(再生研理事) 
「釜座町町家の再生」は、ニューヨークのWMF(Woald Monument Fund)のウォッチリストに掲載され、フリーマン財団のご支援を受けることになった話が前号で語られた。このリストには世界中の文化遺産が並んでいる。その一つに、マレーシア連邦のペナン(濱城)島の都心、ジョージタウンのショップハウスがある。英植民地時代に主に福建と潮州からの移民が建てた商家の家々である。2000-2001年と2002-2003年度にリストに、ペナン・ヘリテージ・トラスト(PHT)という地元市民団体の努力で掲載された。


PHT本部のショップハウス
 ショップハウスとは、東南アジアや中国南部に多い、主に2階建の伝統的都市住宅で、京町家以上に狭い間口と深い奥行きの敷地に建つ。1階はアーケード越しに通りに接する店、その奥と2階が住居になる。街中の通りに建ち並んでいる。外観には多種多様な様式が取り入れられ、色彩も鮮やかである。しかし、経済成長で高層ビルが増え、京町家同様、街中に取り残され、伝統的な小売・飲食店や職人の工房には高齢者ばかりが目につく。
 一方、PHTは1986年設立のNGOで、ペナンの文化遺産保存を訴え、歴史文化を普及させる活動を続けている。出版に熱心で、地元誌への定期的な寄稿、1993年からは毎月ニューズレターを発行、単行本も50冊以上を出版した。地元の作家や郷土史家によるペナンの歴史書、ガイドブックは多種多様で、その数は今や東南アジアで最も多いだろう。

PHT本部入口

ショップハウス内部
 第二次大戦後に独立した若いマレーシアには、多くの途上国同様、歴史研究の蓄積が薄い。また、ネイティブのマレー人と渡来の華南、インド系からなる多民族国家で、移民の記録も、移民が暮らす街の歴史も人々の記憶以外には少ない。その中で華僑が、その歴史と遺産を確認するところからPHTの保存運動が始まった。2008年には、もう一つの歴史的港湾都市マラッカと共に、同国初となる世界文化遺産に登録された。
 マレーシアにはクアラ・ルンプールに本部をおく、バダン・ワリサン・マレーシアというNGOがある。主に英植民地時代の建造物やマレーハウスの保存に取り組んでいる。80年代当時はブミプトラ(土地の子)政策の最盛期で、このNGOに対抗してペナン独自の活動を続ける華僑のPHTは分離独立運動に繋がるとみる向きがあった。国連の一機関に努め、業務の一環で彼らを支援していた私は、だからPHTをローカルでなく、グローバルなネットワークの中で育てる必要性を訴えた。その結果、奈良まちづくりセンターは先日もPHTの会長を招き、交流が続いている。世界には英国のNational TrustやCivic Trustに模した組織が多い。数は多いが、PHTほど上手に適応した例は少ないと思う。声高に行政批判を唱えつつも、マスコミを通じて上手にコンセンサスをつくる。PHTの主張は実現されるから政策決定に影響力を持ち続ける。国民戦線と人民連盟という与・野党が、各々3つ以上の民族系グループが分れ絡み合う、また中央と地方でねじれた政治構造の中、PHTは政治からの距離を取りつつ、市民の視線で、その主張を実現させた。このバランスのとれた四半世紀活動には大いに参考にすべき点がある。
 PHTは、1990年ジョージタウンのアルメニア通り一画の小さなショップハウスの修復を市役所に提唱し、1998年には20世紀初頭に建てられた海南島出身者の町会所を、自ら基金を集めて修復、その後本部事務所を置いた。2006年には今の事務所である別のショップハウスを再生し、次々と修復・再生を続けている。また、会員にはこの間ショップハウスに住み始めた人が多い。もちろん、再生を望む一般のショップハウス所有者にハード、ソフト両面からアドバイスし、店舗やホテルへの活用を斡旋する。生き続ける華僑の町並み保存を目指し、伝統的コミュニティの継承と零細商工業の振興を図っている。報告書を出版し、多様な人々の暮らしと生業の歴史を丁寧に掘り起こしている。講演会やガイド・ツアーを開催し、ペナン市民に文化的な誇りを持たせることに成功した。シンガポールは中華民族優位で国づくりを果たした。しかし、ペナンは連邦に残り、マレイでも華僑でもない、多民族都市のハイブリッドな共生に文化的特徴がある点に誇りを見出した。
 これらの取組みが、開発業者の圧力に抗い、世界遺産登録を進める原動力になった。ペナン州政府文化遺産委員会、同州サフォーク・ハウス保存委員会、ペナン市文化政策審議会、同州家賃等統制委員会、同州都市計画審議会、ユネスコ世界遺産現地委員会をはじめ、歴史的都心・ジョージタウン関わる様々な行政の委員会に、代表を送り込んでる。
 若い国らしくPHTのメンバーも若い。創立時には市内の名士中心だったが、2009年に会長に就任した40歳代のクー・サラマ・ナスシオン女史を筆頭に、今やすっかり世代交代した。ペナンの歴史を数々の著書にまとめたクー女史は、創生期からのメンバーであるが、彼女の教育活動が切掛で加った20代のメンバーが活動の中心になった。PHTの歴史をよく知る前会長チョン医師も笑顔を絶やさず、今も幹事会メンバーを務めている。
 今や京町家ネットにも海外の訪問客が増えた。特にアジア途上国からの若者が多い。憧れの眼で京町家を見てくれる。間もなく釜座町町家を拠点とする京町家ネットは、内にも外にも開かれ、そして充実したソフト面を誇りうる活動を始めようとしている。 
2010.9.1