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京町家再生研究会

第33回全国町並みゼミ盛岡大会への参加

末川 協(再生研究会幹事)

盛岡のスケッチ(末川協)
 11月の初旬に行なわれた盛岡での全国町並みゼミに京町家ネットから3名の発表者が参加した。初日の全体会での事例報告では内田幹事より、京町家ネットの概要と今までの活動、ティファニー財団での文化大賞や、ワールド・モニュメント財団の支援による釜座町町家の改修が紹介された。海外からの京町家の「危機遺産」指定が光栄でもあり、甲斐性を試されているようでもあり、京都での受け取り方は両面あれかしにしろ、ドナーの25万ドルに会場がどよめいたのは確かである。
 二日目の町並み部門別交流会では、中心市街地活性化をテーマにした「商家の町並み」部門に参加した。小島事務局長が、都心で歴史的な資産を守り継承するには、町並みという範疇ではくくれない気概も覚悟も将来への確信も必要なことを実際の住まい手の立場から忌憚なく伝えられた。歴史的な建物の空き家対策や、商業利用の是非、外部資本の導入方法など、当事者的な判断がないと上滑りになる議論が引き締まる。先立つ第二分科会でも「暮らし文化を活かした環境づくり」に、ブレのない意見をされたと思う。
 自分の招聘いただいた第四分科会は、「町家・民家の継承とまちづくり」がテーマ、歴史的建造物の修理/伝統技術の継承/伝統材の確保がキーワードであった。地元岩手の設計士、長澤沙織氏からは、寒さ対策は岩手での改修で避けられないこと、豊富な地場産材のことを伺った。普通に使える木材が11種、広葉樹の仕上材が40種!足場丸太のような杉柱も使う京町家からみれば、やはり日本は広い。盛岡の町家の構造材の多くはケヤキ、千本格子には栗材も見られる。盛岡の打野秋男棟梁は、木材に対する敬意と恐れの大切さ、組む・ばらせる・組みなおせるが大工の仕事であると話された。後進育成の課題は、「学ぶ機会」と「学ぶ気持ち」つくり、ここは京都と同じである。奈良の宇陀の森本陽子氏は築160年の家を直しながら暮らす自身の取り組みを元気に話された。寒さに体も慣れたそう、改修の進展とあわせ、地域に守られる暮らしの続きをお伺いするのを楽しみに思う。盛岡で話を聞くと宇陀がご近所のように思われるから不思議である。飛騨古川の直井隆次氏からは、祭が地域の同一性を守ること、町並みは共有の財産、「相場崩し」を嫌うこと、祭の屋台をつくる技術を残す取り組みを伺った。ここも来年の町並みゼミで訪ねられればと願う。
 京都からの発表はトリで、各地の発表でネタが尽きた様にも思われ、活動の先進地などと言われると余計にプレッシャーがかかる。空言はないように、実際の取り組みと確信のあることだけが伝わるよう願った。はじめに京町家棟梁塾の報告させていただいた。塾も三期目、その報告も三回目、運営から見えてきたことと次の課題をお話した。知れば知るほど当たり前のように深い伝統構法の全体と細部の技術、その修練のプロセスが誠実原則の担保と直結していること、塾を終えても学びつつ伝えるシステムが続く必要、本物の町家の新築に向かう目標までお話した。前日の基調講演で、森まゆみ氏が「本物を壊して、なぜレプリカを作るのか」と繰り返し問いかけられたことは意を強くしてくれた。
 後は京町家の構造や仕組みについて、改修の実務の積み重ねで見えてきたことをお話させて頂いた。京町家をそのままの伝統構法で手入れする根拠を、現場の側から、歴史や思想だけでなく技術的に伝えようと努めた。うなぎの寝床で出来る建て方、いつまでも出来るお手入れ、細く壁の偏った京町家がなぜ石の上で自立するのか、地震の力はどのように受け止めるのか。京町家の構造の全体と細部を現場で理解できるところまでをお話した。分科会参加者の全員が、拙い町家の模型を押したり引いたり触ってくださった。模型を入れてきた焼酎の箱を見て、朝からびっくりしていた地元の若い設計士が、最後に大事に模型を戻してくれた時にはほろりとも、ほっと安心も出来た。ともかく各地の伝統構法に各地の技術者が、心を平らにして向き合えば見えてくることがあるはずと願う。
 その後の見学会では、分科会をお世話いただいた岩手県建築士会女性部会のご案内で盛岡の町並みを訪ねた。京都と同様、「頑張ってはるなあ」と敬意を感じる改修も多く、はじめに「揚げ前やイガミ突きをすべし」と思う改修も時にある。置き屋根が崩れかけている蔵を直すならば今が限界とも思う。京都でもまったく同じ、その改修はご縁がかなった順番に行うしかない。お客さん気分で着いて行くと、プログラムの見学コースとは関係なく、町家の酒屋さんに不時着した。お昼寝中のお母さんが出てきてくれた。聞くと部会で行きつけの立ち飲みのお店、皆で15分の休憩を頂いた。せんべいと地酒を振舞っていただいた。いたく名誉に感じた次第である。
2011.1.1