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京町家再生研究会

NPO活動と町内会活動の協働

末川 協(作事組理事)
■改修と利活用の待ったなし
 相変わらず町家の改修と利活用の相談は同時並行でやってくる。都心の規模の大きい町家が、丁稚さんや女中さんの大勢出入りしていたかつての業態を取り戻す夢は果てない。しかし今かろうじて残っている町家、傷みが進んだ空き家に必要な手入れを行なうこと、その費用を現実的な時間の中で回収することは、京都で町家の存続を前提とする限り、奇麗な夢をみるだけでは済まされない。好き嫌いは別にして、今どきのトレンドでは、飲食店や宿泊施設への転用の相談はますます多くなっている。今しばらくは、その手続きの問題ととらえてかまわないかもしれない。しかし町家が自立的に存続していくためには時間を置かずに、正面から取り組まなければならない課題のように思う。大型の町家の業許可申請と用途変更の手続きについて、現実の京町家の存在に即したシナリオを多少なり建設的に考えてみたい。

■町家の再生と手続きの課題
 この数年間で京町家の再生は当事者の責任を明確にすることで、社会的に認知されてきた。ありていに言えば、町家がつくられた時代の後に書かれた建築基準法との立位置の違いを出来るだけ明確に線引きすることで町家の再生は一般化出来た。そこには書かれていない別の責任を確認しながら伝統構法を伝統構法で直す作業は続けられた。町家の再生が広がるほどにその責任の重みは増している。
 本来、自律的な責任の自覚の上で実現した京町家の再生が、生き残りを賭け、営業許可や用途変更の手続きの際に、再び建築基準法とのせめぎあいに出会う。100u超の用途変更ならば確認申請が必要となる。なのでもとの町家の姿を守る限り、飲食店も宿泊施設もいったんは、それ以下の面積を壁で塞ぐ。その枠の中での陣取り合戦になる。果たしてその枠の中では既得権を守ってもらえるようになった。ここまで京町家は盛り返してもらった。実務者から見れば大きな前進と思う。覚悟を決めた施主と同時に、知恵を絞ってくださった所轄の方々の恩をおもう。少なくとも、この枠の中では町家は生き残れる。

■状況の整理
 今日明日のことでいえば建築基準法が町家と技術的なレベルで住み分けを行なうことは致し方ない。しかし「べき」論は当然ある。もぐりの「ご飯」や「宿」の営業が野放しのままでいいのか。事故が起こったときの責任はすべてそもそも当事者にある。それを当然とした上で、いまだけ儲かることでいいのか問われている。どっこい「町家の宿」がサブビジネスとしてあおられる。万一のときはいったいだれの責任になるのか。所轄であるはずはない。天災に限らず、想定外のことはいつでもどこでも起こりうる。
 はたまた、議論以前に、大型町家の用途変更でイカサマの申請書を作り、あるいは検査後になお「壁を壊せ」といってはばからない人が未だにいる。飲食の営業許可以前に保健所に「お食事会だ」と言えという。こんなことを繰り返していては、議論がまじめに進むはずはない。町家が作られていた時代の京都では、「小火」を出したお店がご町内に居残れることなどありえなかった。べつのところでしっかりとモラルも守られていた。

■次のシナリオは?
 京都の町家は造られた時代に8割が借家、2割が大店といわれている。いまでは更に残り少なくなった大型の町家である。その活用で飲食なり、宿泊なり、営業許可が100uの枠を超えるためのシナリオを考えたい。
 一つはソフトの正当な評価である。営業許認可の一方の手続きは保健衛生面での建物、設備の質を問われる。これは当然である。もう一方は防災、避難面での質を問われる。ここを町家のありように即して考えたい。よく言われるように「火の用心」は実際の火災発生率に数字で現れる。現実的な危険処置では、職住一致の原則が守られているかどうかが大きな分かれ目になる。宿泊や飲食に使われる建物に持ち主や住まい手が一緒にいることが、どれだけ安全側に働くかをイメージできれば、不特定の人に供される同じ町家でも、防災面で大きな違いがあることが理解できよう。オーナーに限らずともスタッフの住み込みでもかまわないだろう。何より一番の安心を得られるのが当の利用者とご町内である。
 その原則が守られる場合には面積の枠をすこしづつでもはずしていくことも考えられる。この実績評価が二つ目の提案だ。もちろんここでも善意だけを信じる訳にはいかない。実態が違えば厳罰主義を導入してかまわない。運転免許と変わらなくてよい。手続きや継続的な確認に手間はかかるだろうが、大型の町家を残していくならそれくらいのことを試しても損はないだろうと思う。出来の悪い例だけを相手にしていても前に進まない。安全運転報奨と同じ考えがあっても良いと思われる。5年なら5年、10年なら10年、無事故無違反で、京都の「もてなし」の顔として貢献してきたお店には段階的に次の100uの用途変更の手続きを認める道筋があってもよいかもしれない。ゴールド免許と同じである。
 いずれにせよ、それほど頭を固くする必要はないのかもしれない。大阪万博が開かれた時には京都でも民宿開業は大流行したと聞く。その時にはすこぶる簡易な「通達」で木造建築を別棟に切り分けることが出来た。用途変更のハードルの高さは技術論に加え、社会的な要求によっても決まる。100uという数字は京町家の存在と元々何の歴史的な関係もないことを時には思い出してもよいかもしれない。

2011.7.1