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京町家再生研究会

京町家と京都に関わる新しい制度が提案される

宗田好史(京町家再生研究会理事)
 来年20周年を迎える再生研の歴史は、京都市の景観行政、特に都心部の町家再生の取組みの進展と関わりが深い。ここ数年、市の施策は次々と展開した。研究会で十分に議論する間もないほどである。特に今年は3つの懸案の新施策が準備されつつある。長年の最重要課題「@京町家を適切に保全・再生を可能とする制度」、「A細街路の防災対策」、そして既存の文化財、景観の両制度で手が及ばない町家や庭園等に取組む「B市民による登録リスト」である。これらの全容はこの秋に公表される。様々な形で提言を続けてきただけに、再生研は今後、批判を含めその対応に忙殺されよう。
 まず、町家再生を可能にする制度とは、建築基準法適用除外の議論である。そのため、増改築に際して耐震性能の向上と現行規定に準じた防火措置を巡り、技術的課題とそれを認定する制度が議論の中心になる。京町家の防火仕様は、実践を含め再生研が長年取組んできた。その成果も町家の防火規定の一助となるか、その徹底をどう図るかが議論されよう。もちろん伝統工法の構造耐力の性能認定問題は根本的な議論になる。町家建築家を長年悩ませてきた法制度の内外で保存・再生と安全の問題に、京都市が初めての制度を提案する。次号以降、詳細な内容と再生研各位の見解、懸念が示されよう。見守ってほしい。
 次の細街路については、2011年2月建築審査会(巽和夫会長)が「建議書−細街路対策の推進について」を市長に提出。ご存知の通り、都心4区には幅員1.8m以上4m未満の細街路が総延長190q、3,300本ある。総延長の38%、本数の62%が袋路という。そして沿道には4万1千軒の建物があり、町家調査でその約1万軒が町家・長屋であることが分かっている。幅員4m未満の接道では建築線を中心から2m後退させる規定はあるが、60年たった現在も道路は広がらない。まして袋路は建築基準法第42条の2項道路とされない。だから沿道建物は再建ができないまま老朽化が進む一方である。
 2009年の京都市消防局による第3次地震被害想定によれば、花折断層の地震被害は、全壊建物11万8千軒、半壊4万4千軒、火災件数は最大96件、焼失面積は1.1ku、死者は最大で5,400人、負傷者は16万3千人に及ぶという。東日本大震災後、市民の間にも危機感が浸透した。
 防災の緊急性と同時に景観やコミュニティ形成の観点から、これまで京都市は拡幅整備と現状維持の狭間で、主に狭隘道路整備事業、建築審査会による43条但書許可、袋路再生事業、第42条3項道路の指定など一見矛盾する施策を続けていた。この中で共同建て替えによる袋路再生事業は1998年の第1号玉屋山三小路以降、件数が伸びていない。また3項道路指定も祇園町南側のみである。祇園町では熱心な住民の地域防災の取組みがある。
 審査会の建議書に沿って、今後京都市は次の「細街路条例」の制定に向け動き出した。すでに2007年「京都市歴史的細街路にのみ接する建築物の制限に関する条例」を定め、歴史的細街路として祇園町南側地区を指定した。次はより総合的に細街路の分類と施策の体系化を進め、共同・協調建替と3項道路指定の促進に加え、より直接な方法で防災空地を確保、空地・空家を活用した避難通路の確保を進め、沿道建物の防災性強化や路地の始端部の建物後退を促進する補助制度を準備するという。
 都心部の細街路がこれで一気に安全になるとは期待しにくい。これまで長年かけてほとんど進展のなかった困難な問題である。もちろん地域住民の理解と協力が要る。しかし、世代交代、空家増加で住民の繋がりは薄れてきた。もちろん行政も変わる必要がある。建築行政と道路建設、そして消防局の連携が必要なだけでなく、高齢者福祉の面を加えた横断的かつ総合的な支援策が求められる。
 これは先述の町家再生を可能にする建築制度とも深く関わる。基準法60年の長い間に路地に住む多くの住民には諦観が広がった。町家や長屋の住民がそうだったように、新しい行政の取組みに期待をもてないほど長く困難な状況が続いていた。京都らしい風情は残したい。しかし、災害への備えは大切だ。町家再生の根本的な議論が続くことになる。
 最後にもう一つ、まだ兆しに過ぎない段階ではあるが、市民の提案する残したい建物・庭園登録制度が検討されている。20年前、再生研が町家を残したいと集まった時には、文化財保護制度も市街地景観整備の制度も町家にはまったく及ばなかった。その後、登録文化財制度や景観重要建造物等新制度が生れるたびに、一軒ずつ町家を対象としてきた。6年前には町家ファンドも始まった。制度はできたが、登録も指定もまだ応募件数は少ない。
 使えるものはすべて使えるようにした。しかし、様々な理由で多くの所有者は躊躇している。一軒の町家の存続は、所有者一人の意志ではなく家族の総意による。親族の意見も反映される。この間、町家の未来は多少明るくなったかに思える。だが、まだ大部分の人々は町家の保存と再生を負担に感じるから前に進まない。
 一方、当面は国の新制度もない。だから今までに整えた制度の普及に加え、京都はこの先、どのような制度、取組みを独自に考え、また必要なら国に提案すべきかを検討しなければならない。
 最近の調査でも全市内4万7千軒の内、すぐにでも保存の手を伸ばしたい町家は少なくとも500軒以上あるという。町家の中を見せて貰えればもっと増えるだろう。庭も検討したい。岡崎の名園ばかり話題になるが、街中の町家にも小さいながら残したい名園は多い。
 これまでは取壊し工事の直前、市に駆け込んで保存を訴える市民が多かった。その時に初めて、京都市も市民もそこに大切なものがあったことを知った。それでいいはずもない。まだ、どんな効果があるかは分からないが、制度の外にはあるものの、無くしたくない建物や庭を市民の提案で集めたいという制度である。ただ登録した後、どんな方法で支援できるかがより大きな課題である。
 さて、これら3制度創設の背景にある京都と日本の社会の変化を忘れてはならない。再生研の20年はバブル崩壊後の失われた20年と重なる。時代の先にある京都の姿は、過去の経験からだけでは分からない。再生とは未来を拓くことなのだから。

2011.9.1