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京町家再生研究会

京都市による京町家の保全・再生の取組について
─寺田敏紀氏の私見(前京都市都市計画局長、公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター専務理事)

丹羽結花(再生研究会幹事)
 2012年5月例会にて、寺田氏から京町家の保全・再生の取組に関わるさまざまな思いを伺う機会を得た。例会報告で簡単にまとめたが、ここでもう少し詳しく紹介しておきたい。話の中心は、京都市がどのような思いで何をやってきたのか、寺田氏の体験を通じて述べる、ということにある。

 京都市が最初に京町家を意識した取組は、昭和56年度から58年度におこなわれた「新しい都市住宅等の調査研究」である。当時、都心に増え始めたマンション建設を巡り、住環境の悪化やコミュニティの衰退が危惧された。そこで京町家と京町家が形成する街区の相隣環境に学ぼうということになった。伝統的な空間秩序の再評価、とりわけ庭のあり方、通りとの関係、町家が連続する重要性などがあげられた。建築として、空間として、町家とそれらが密接する地域空間がとらえられたことは重要だが、暮らしの文化の再評価という視点は弱かったという。
 この調査研究をベースに昭和60年、京都HOPE賞(housing with proper environment)が創設され、第1回目は「京都増改築コンクール」のキャンペーンを兼ねて開催され、無名舎(吉田邸)が町家の復元として表彰された。町家再生を真剣にやろう、という行政の意欲の表れでもあった。寺田氏は、町家が単なる古い木造家屋ではなく、未来住宅として、すばらしい原型であることを認識したという。そして、軸組みの基本さえおさえていれば、手を入れて住み続けることができることも実感したという。
 その後、京都市は、まちづくり支援制度を設け(昭和61年度)、平成9年には財団法人京都市景観・まちづくりセンターを設立する。平成10年度には京町家まちづくり調査をおこない、市民を巻き込んだ大きな動きとなった。私たちも関わった市民調査を拡大、援用したものであり、再生研を含めて市民団体や大学と京都市が連携するきっかけでもあった。この調査を踏まえて、平成12年度には京町家再生プランが作成されている。今、振り返ってみると項目的には過不足のないものであるが、実現されていないものも多く、京町家の居住者の暮らしの実態を反映した十分な支援策とはなっていない。
 京都市が長年、歴史的都市を保全するため、さまざまな制度を導入してきたことは周知のとおりである。昭和51年度の伝統的建造物群保存地区制度が京都の取組をきっかけとしていることもよく知られているが、これらは景観政策として整備されてきた。景観整備地区(平成8年度)、歴史的意匠建造物制度(平成8年度)、歴史的景観保全修景地区制度(平成11年度)、街並み環境整備事業(平成16年度)、景観重要建造物制度(平成18年)、歴史的風致形成建造物(平成21年)などさまざまな制度を制定してきたが、住まいとして町家を捉えたものではなく、その意味では縦割り行政の限界であった。
 一方、耐震診断・改修関連で、多くの制度を打ち出し、実行してきた。最近の京都市伝統的な木造建造物の保存及び活用に関する条例(平成24年4月施行)は、優れた京町家について、現行の建築基準法の適用を除外し、京町家に相応しい安全対策を義務付けるという画期的な施策である。京都市の説明会において、この条例とともに、建築基準法でここまでできるというガイドラインを作成していることがわかったが、今まで既存不適格としてあいまいに扱われてきた町家改修をきちんと表に出し、正当に対処しようという姿勢が明確になったのは、大きな前進である。京都市も確かに変わったのだ。
 しかし、いずれも町家を救う決定打にならない。この20年の成果は認められるが、さまざまな課題が残されていることも事実である。寺田氏の見解として、まず町家を規模等によって類型化し、それぞれにふさわしい施策を打ち出す必要がある。次に居住者の教育の必要性があげられる。単なる不動産所有になってしまっていると思われるからだ。家族や親族が資産として引き継ぐのではなく、価値をしっかり理解している人が引き継げる仕組みを作る必要がある。資金や技術者の問題も残されている。このたび寺田氏は京都市を離れ、より動きやすい立場になられた。そして、多くの課題を解決するために、あらためて再生研への協力が要請された。

 なによりも重要なことは、 問題意識を共有し、 京都市あるいはまちづくりセンターでできることとできないことを認識した上で、市民団体あるいは居住者と協働していかなければならないことだ。これは単なる依存や監視ではなく、お互いが得意分野を生かしながら、よりよいものを作り出す努力が必要だということを意味する。地域の建物として、生活の場として再生していくために何が必要なのか、試行錯誤を繰り返していくことでしか将来の姿は見えない。この20年の成果はむしろその事実確認にあったともいえる。再び果てなき道を歩むのか、どのように協働できるのか。いずれにせよ、責任を持って取り組み続けることが再生研の宿命なのであろう。

2012.9.1