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京町家再生研究会

世界遺産条約採択40周年京都会議と京町家

宗田好史(再生研理事)
 今年11月、京都でまた国際会議が開かれる。外務省・環境省・文化庁がユネスコ世界遺産センターを招き主催する世界遺産条約採択40周年記念最終イベントだという。世界各地で開かれた記念事業の締めくくりである。今年は、日本がこの条約を批准して20周年、古都京都の文化財として17社寺が登録されて18年でもある。京都の登録当時と違い、今では日本中すっかり世界遺産ブーム、近くでも天橋立や宇治の茶畑の登録に取組む様が、猫も杓子も状態だと思うのは不謹慎だろうか。

 実際、先日参加した韓国文化財庁の会議では、日中韓の似たもの同志、互いに数を競うだけでなく、地方行政間で世界遺産登録競争が激化していることが問題になった。田舎者同志の喧嘩の様でやや見苦しい。

 世界遺産登録を、観光目当てのブランド欲しさからという考えが浅ましいことは言うまでもない。保存したいから登録を目指すというのもまずい。策に溺れるというに尽きる。よく保存され、その意義が地域社会に十分認識され、その意義に世界が共感するから登録される。元ユネスコ事務局長のマイヨール氏(スペイン)は、世界遺産を「未来の記憶」と呼んだ。未来の子供たちが、世界人類共通の歴史として学ぶ普遍的価値あるものが世界遺産だという。民族相互の違いを乗り越え、多様な文化の価値の理解を通じて、地域と世界を繋ぐから意味がある。個々人と人類の理解を深めるから平和への取組みになる。

 さらに拙いのは、地元住民の発意でもなく合意もないのに、トップダウンで国や地方行政が登録を進めることである。最近、ドレスデン渓谷(ドイツ)の登録抹消などの例に見られるように、すでに登録された世界遺産が危機に晒された時、文化遺産の所有者や周辺住民、地元の市民がその保存を望まないために、市民投票の結果、保存より開発が多数の支持を集めた例があった。市民投票まで行かずとも、地元の理解が浅ければ、隣接地に高層ビルが建つ計画が支持される場合も多い。一方、市民の意志を尊重しない政治体制の国々では、強権的に保存されていた文化遺産が、民主化の嵐の中で破壊された例もある。

 自画自賛になるのだが、その点住民自身が望んで保存再生を進める京町家の取組みはいい。文化遺産の価値をまず住民自らが認識し、少しずつ世間に訴えつつ、自らの襟を正し、行政の力に頼ることもなく、率先して、保存再生の道を探ってきた。町家住民に原点があるから、周りの市民もそれを応援しようと気になった。国やユネスコ、権威に縋ることもない。まして学者の言うこと等、ハナから信用していない。八卦見と同程度にしか見ていなかった。この点について、文化遺産に巣食う「文化遺産貴族」とも呼ばれた世界遺産関係者、UNESCOやICOMOS(国際記念物遺産会議)の関係者も従来の権威主義的な態度を最近になって反省し始めた。

 だから、3日間に及ぶ40周年国際会議の討論では、「地元住民」「コミュニティとの連携」「我々の暮らしと遺産、持続可能な発展」「市民社会と公と民のセクターのパートナーシップ」等のテーマが並んでいる。次の全国町家再生交流会のテーマと思うほどに、我々の日頃の関心に近い。ただ、この議論がどれほどに深まるかについてはさほど期待できない。京都と他の町との間にこれらの認識の違いがあるように、先進国と途上国、いや先進国の中でも民主主義の熟度の違いによって、理念と実態には大きなズレがある。

 良くなったとはいうものの、京町家を取り巻く現状は予断を許さない。応援する市民は増えてきたが、肝心の町家住民が抱える問題の多くは未解決のままである。世代交代が進む中で空町家が増え、その一部はコインパーキングに転用される。社会の変化を超えて町家が再生するには、まだ市民社会の叡智を極める必要がある。

 この意味で、すでに世界遺産に登録された古都京都の文化財の数々には学ぶ点が多い。長い京都の歴史の中で戦禍とともに様々な変化を乗り越えてきた。明治初めの神仏分離による廃仏毀釈運動、戦後の民主化と農地改革、財産税等の衝撃など、我々の知るものも多い。不断の努力があったからこそ守られてきた。ご苦労を改めて伺うと、京町家を守る取組みに活かせる知恵が多いと思う。それは、文化遺産を守る住民の誇りと喜びでもある。

 1972年の世界遺産条約は、1962年に採択された戦禍から文化遺産を守るハーグ条約を発展することから始まった。戦争だからといって、人類の歴史を伝えるピラミッドやローマの街を破壊していいはずもない。京都が米軍の爆撃を免れた件について、まことしやかに語られた時代があった。その真実はすでに確定しているのだが、そんな希望的観測が生れた背景には、戦禍の街から未来を見上げた人々の高い理想があったことは忘れられない。その理想は、20年前に京町家の再生として蘇ったのだと思う。この理想が簡単に実現できると思ったわけではない。努力はまだ始まったばかり。決して成果を急がず、より大きな夢に向かって、新たな課題に取り組んでいくことを、京町家再生研の20周年に誓いたい。

2012.11.1