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京町家再生研究会

小江戸−川越の町づくり

木下 龍一(京町家作事組理事長)

 昨年11月21日、埼玉県川越市の都市景観シンポジウムに参加して、当市の全国に先がけた蔵づくりの町並み保全や、商業活性化の実績。又、その発端になったNPO法人「川越蔵づくりの会」の活動と、その後の運動の展開について、現地を会員の方に案内していただきながら見学する貴重な機会を得た。実際、初めて武蔵野の「小江戸」と呼ばれる川越市を訪問して、快い経験をし、他都市との比較により気付いた点について論評してみたい。来年度には、京都から始まった「全国町家再生交流会」が、九州臼杵市の後を受けて当市で開催される。京町家ネット各会でも、その交流会に向け問題提起する内容について、議論をスタートさせる時機ではないかと考えている。

 川越市は現在人口約35万人。埼玉県南西部に位置し、都心から約30qの距離にあり、首都圏のベッドタウンや観光遊楽地としても有効な距離にある。最近では、蔵づくりの町並みと歴史的街路整備や文化財修復の成功が話題を呼び、外国人や首都圏の観光客数が、10年前の150万人から450万人に増加したという。

 歴史をひもとけば、室町時代、上杉氏の命により、家臣の太田道真、道灌が川越城を築いて以来、江戸時代には川越藩が置かれ、江戸城の北方を防御し、諸街道の要衝をなす物流拠点として商工業が発展し、豊かな文化遺産を蓄積する固有の歴史都市に成長した。一方地理学的には、秩父山脈から流れ出る荒川が、武蔵野台地を巡って広大な関東平野に肥沃な土を堆積する水田地帯と台地の境界域にあり、田園風景と雄大な自然林を残す風光明媚な所である。この歴史文化と自然環境に育まれた農業や商工物産は、新河岸川の水運により、江戸−東京の大消費地に運び商われて、それを一手に扱う川越商人は江戸−明治期を通じて大いに繁栄した。この商人達の豊かな経済力を背景として、明治26年、川越の町家の3分の1を焼失した大火の後、復興の為の防火建築として、蔵づくりの店が続々と建設され、100年後の現在に存続する見事な景観が形成された。

 この関東地方随一の蔵づくり商店街は、昭和40年代から稀少な文化財として見直され始めたものの、市の商業中心が北部から南の川越駅前に移ってゆくと共に、一番街近辺に高層マンション建設が持ち上がり、住民の間に町並み崩壊への危機感と共に、中心商業地としての衰退感が拡がった。


町づくり規範小冊子
 昭和58年(1983年)に設立された市民団体「川越蔵の会」は、この問題に対し、「自己の商業力なくして、歴史的建築物の維持はあり得ない。現代の店舗展開に歴史的建築物を最大限利用しなければ、町並み保存は成り立たない。」という実践的テーマと、伝統的家屋における住環境の向上をめざして立ちあがった。この若手商店主や専門家、川越ファンの研究者達と行政、更に関係自治会の代表者達が加わって、「町並み委員会」を組織し、昭和63年(1988年)には、町並みの個店改装に伴うルールとして、市民にとってわかり易い「まちづくり規範」を策定した。全67項目からなる規範は、都市の形成から建物の配置計画、居住及び商環境の提言、町並み形成のデザイン要素等が都市から建築にまたがり、パターン化して表現したもので、いわゆる行為の規制ではなく、住民自らが考え合意した目標であり、「今後実践の中で鍛え修正し、真に自分達の言葉として身につけて行く」事が記されている。他方、こうした中で行政が行ったものは、「歴史的地区環境整備街路事業」による、都市計画道路「中央通り線」の一番街部分の拡幅を計画変更し、菓子屋横丁等の歩行者ネットワークの整備と、景観条例の整備をする事であった。それから平成11年(1999年)、旧川越城下町十ヵ町会や一番街商店街の要請を受けて、歴史的中心部を国は伝統的建造物群保存地区に選定した。川越の町並み保存運動の強さは、この地元商店街を中心とする市民が、周辺の自治会や専門家研究者達と共に市民団体を立ち上げ、行政とタイアップして、粘り強く商業活性化による街並み保存を実現したところにある。この活動は更に地域を拡げて、大正浪漫夢通りや昭和の商店街、周辺住宅地へと拡がっている。歴史的建造物は商店や銀行、郵便局、レストランだけでなく、近代の町家や民家として、市のあちこちに存続している。昨年条例化した景観計画が、歴史の積層する現代都市の形態を総合的に美しく再形成する為の有効策になるためには、市民の意識がそこに結集し、行動に立ちあがる事が何よりも大事な事である。


蔵づくりの家(右側)の奥に増築棟を新築した例
 今回、私が川越を訪れ気付いた事は、この「まちづくり規範」がもたらしたものの意義である。次回、町家再生交流会in 川越では、是非この「まちづくり規範」を作るのに立ち会った人々の考えと、その規範に沿って実際に町家改修に携わった実務者(設計者や大工、左官屋等)と、仕事を依頼し、そこに住み、商いをされている商店主や家族の皆様のお話しを聞いてみたいと思う。恐らくこの規範は、町共同体の歴史を基に、町づくりの仕組みや蔵づくりの町並みと、住居空間の構成や、家屋と庭の関係等、全国の町家共通問題に、川越特有の形式を表現したものに違いない。行政が規制の為に作り出したものでなく、地域の伝統的町並みや町家様式の中から規範を見出し、それを現実のプロジェクトとして創造する行為について、それぞれの立場から語り合う機会があれば嬉しい限りである。又、その創造の場に行政が如何に関わったかも、重要な経験だと考える。現在、「川越蔵の会」が取り組もうとしている、裏長屋借家群の利活用や、芝居小屋「鶴川座」再生計画の一年先の姿を、是非京町家ネットの皆様と一緒に見てみたいと思っている。

2015.1.1