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京町家再生研究会

町家とまちづくりに思う

吉田英雄(地域社会研究所)
 最近、町家建築が話題となっている。その理由は、懐古趣味の感もあるが、現代人が潜在的に求めている住まいのあり方を町家が示唆しているからなのではと思われる。町家のたたずまいを見ると同じように見えるが、2つとして同じものはない。住まい手の生活に応じて住まいができている。または、住まい方に応じて住まい替え(リフォーム)が容易である。更に、現在供給されている現代住宅に比べて、人にやさしい側面をいくつも備えてもいる。やさしさという表現をしたのは、清家清氏の『やさしさの居住学−老後に備える100のヒント』から借りた。氏は、家は住み継がれるのが理想であり、老人になっても住める「終(つい)の住処(すみか)」でありたいと主張されている。氏は町家について記述されているわけではないが、読むほどに町家を思い浮かべ、町家は人にやさしい側面をいくつも持っていると改めてその魅力を再認識できたように思う。逆に、改善すべき面も多くあるが、改善策を講じればスクラップしてプレハブなどの今様住宅に建て替える必要は少なくなるのではと思う。

 京町家は、1700年代の桟瓦葺の普及により、業務と居住を兼ね備えた都市住宅としてのスタイルが完成された。畳寸法を規格化して、建築部材や建具寸法を畳短辺の整数倍にすることで建設の分業化に成功し、建設期日やコストを圧縮し、他の建築に転用できることにより市民権を得て、現在にまで引き継がれる建築工法とし生きてきた。明治維新に入る1860年を前後して、大火や戦火によって多くの町家が焼失したが、その後の復興も町家建築で行われている。復興町家で概ね100年、戦火で焼けなかったものは120年から130年の歴史を刻む家屋が健在である。これらの町家は、2代〜3代の家族に住みつがれ、終の住処を2度、3度と体験された住いである。

 このような町家の取り壊しが日常茶飯事になったのは、戦後それもつい最近の70年代に入ってからである。都心部の地価の高い所に平均1.5階建ての土地食い虫の町家建築はけしからんという都市計画や建築行政、汲み取り式から水洗便所へ、そして電化製品や車の普及、これらは住まいの平面計画の自由度を増し、住まい方の洋風化も手伝い、町家は不便で現代生活に向かないとの大合唱となり、見捨てられるはめとなった。そして住宅の多様化、共同住宅の急増など住まいやまわりの環境は急変しつつある。

 今、祇園町南側(公称町(=公称の町名)、約300世帯)で住民主体の町づくりが進められている。木造建築の良さを見直し、120年の歴史の中で構築してきた町並み景観を継承しようと、居住者を会員とする「祇園町南側地区協議会」が96年夏に設立され、町づくり活動がスタートした。木造家屋による町並み景観の継承、そのための防災対策、通りの美装化、そして祇園にふさわしい家業の振興対策など協議がなされ実行されている。居住者が安全・快適に暮らせることを町づくりの柱とし、既に、歴史的景観保全修景地区の指定(99年)、景観協定の締結(99年)、花見小路の夜間一方通行化(02年)、新風俗業を認めない地区計画の指定(02年)、防火・準防火地域の解除(03年)など取り組みは多彩である。さらに、町づくりのテーマは広がり、町の住まい方のルール(かつての町定め)、若い居住者の転入、子供を育てる環境づくりなどがテーマとして掲げられている。あわただしく町の様子が変化したが、居住者に歓迎され、町づくりに関心を寄せる人が増えてきている。町並みの保全が町づくりに発展し、居住者が町の維持や振興に取り組むという住民自治の魁となりつつある。