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京町家再生研究会

京町家贈与論 ―京町家情報センター、1年を経過して―

松井 薫(再生研究会幹事、情報センター事務局長)
 京町家情報センターが発足して1年が過ぎました。その間にユーザー登録をされた方は200人以上、オーナー側の相談も40件程あり、15組の契約が成立しました。それぞれの契約に際しては、まさに手探りの状態で担当の不動産業者、オーナー側、ユーザー側と知恵を出し合って一つずつ解決してきました。店舗をされている方もあり、住宅兼仕事場としてお使いの方もあり、住宅のみの使用の方もありますが、それぞれ納得して満足して町家を活用していただいております。発足当初考えておりました、町家を活用したい人がいるのに一方で町家がどんどん壊されていく状態を、情報センターが橋渡しをすることで少しでも壊される町家が減り、活用される町家が増えるということに多少なりとも貢献したのではないかと思っております。

 町家の不動産としての流通に、なぜそんなに一つ一つ知恵を出し合い、時間をかけねばならないかといいますと、町家の賃貸は普通の不動産流通と性質が全く違うからです。そのあたりを説明するのに、なにかいい言葉はないかと当初から探しておりましたが、最近読んだ本(『愛と経済のロゴス』中沢新一著、講談社選書メチエ)にヒントがありましたのでお伝えしようと思います。

 この本によると、人がモノを媒介にしておたがいの間に関係をつくりあげるのに三つの様式―「交換」「贈与」「純粋贈与」―がある、といいます。「交換」とは、モノを受け取ったと同時にそれに見合う対価をただちに支払います。この時は受け取ったモノを作った人の人格や思いが付与しているわけではありません。単にモノとしての値打ちをお金と交換しただけです。それに対して「贈与」はモノをプレゼントされても、それはモノを通して、何らかの思いや、その人の人間性が伝えられます。プレゼントをもらってすぐに「これ、いくら?」とは聞きません。但し、時間がたってから何らかの形で「お返し」をするのが普通で、そのことで「贈与の輪」が回されます。

 これを、家に当てはめてみますと、現代では家を「買う」またはお金をかけて建てるわけで、家は時間の経過と共に段々その価値を減じてくる(減価償却される)のですが、これは経済でいう交換の原理によるものです。ここには家を作った人の思いや人格の入る余地はありません。それを維持していく人の思いも入り込めません。だんだん値打ちが下がり、使いづらくなれば、廃棄して新しいものと入れ替えるだけです。町家の場合は、当初は確かに対価を払い、手に入れたものでしょうが、経済的な減価償却が終わってもなお、受け継がれ、引き継がれて家としての価値を保ち続けています。これは町家から住人へのプレゼントがあり、住人は時期をみてそのお返しをしている―贈与の関係にある―からではないでしょうか。住人は風雨から守られ、火を安全に使い、季節を感じながら社会ともつながって生活することができ、その生活に美しい風景、美しいシーンがふんだんに盛り込まれています。気が付きだすとあっちにもこっちにも家からのプレゼントがあります。そういった家からの絶え間のないプレゼントにお返しをするべく、夏になれば建具を入れ替え、冬にまた建具を戻す、一代に一回は屋根の瓦の葺き替えをする、何か事あるごとに畳の表替えをする、壁を塗り替える、小さくは毎日拭き掃除をする等々、絶えず家と関わりあって生活をしています。モノを売ったり買ったりの関係より、プレゼントをしたりされたりの関係のほうがずっと親密なわけで、町家とその住人の間には、こういった親密な贈与の関係が成り立っているのではないでしょうか。

 さらにお返しを求めない贈与、無償で限りない贈与を「純粋贈与」といいますが(これはしばしば神という言葉だったり、工業化される前の農業における大地とかで説明されたりします)、家の場合、純粋贈与は「太陽の光、太陽のエネルギー」にあたるのではないでしょうか。地球上の全ての現象の源は、常に降り注ぐ太陽エネルギーであり、これが雲をつくり雨をふらせ川を流し、大地に生命を与えています。太陽エネルギーは無償で限りない贈与とみなしていいでしょう。『愛と経済のロゴス』の著者の中沢新一氏によれば、贈与と純粋贈与との間には交点があり、贈与のサイクルがまわっている環を貫くように純粋贈与が関与しているという構造があるとのことです。この交点は贈与のサイクルに空白をもたらし、マオリ原住民が「ハウを見た」と表現するような、霊力のようなものと結びついているのです。いわば、今までの地球上で経験している現象とは全く違った現象が現れる「宇宙につながる入り口」のようなもののようです。これは町家でいうと贈与のサイクルの廻っている内部空間と、純粋贈与である太陽エネルギーの交点―内と外の中間領域―になります。すなわち、縁側や屋根裏、床下、床の間(床の間の天井は宇宙につながっている)井戸などで、「宇宙につながる入り口」としていろいろな超常現象がおこりやすいことで知られています。いわゆるオバケやユーレイのでるのもこのあたりでした。

 こういった構造を内包している京町家を単に経済の「交換の原理」で取引しようというところにムリがあり、我々が京町家の不動産流通になにか釈然としないものを感じるのもそれが原因なのではないでしょうか。こういった経済の交換の原理と全く違った構造を持っているものを、流通の場にのせるには、違った尺度での評価が必要です。それを何とか評価しながら不動産流通の場にのせる工夫が必要で、それが、一つ一つの物件に対しての我々の様々な試みとなって、現れてきたのがこの一年だったように思われます。