庶民的な町家の耐震改修…下京区・K邸佐野春仁(京都建築専門学校)
東本願寺の北、五条通りまで、小路にそって建ちの低い古そうな町家が多く残っていて、行き交う老若男女が親しく声を掛け合うあたり、いかにも人情が地にしみ込み、よく練られたという風情である。そんな街角のおよそ4間の間口をいっぱいに開いた図子建ちの町家、昔から棕櫚ほうき屋さんとして知られた商家だそうだ。最近、若いKさんご夫妻が購入された。これをなおして住みたいが、少ない予算で可能だろうかと相談に来られた。昨年の秋のことである。この並びでは一番古い家で、明治初年ごろと年寄りから聞いていると近所の人が話してくれた。確証はない。ただ、一目で全体の歪みは明らかで、材は使い回しが多く、揃いが悪い。あまり手も入っておらず、傷みも相当なものである。施主はかつて神戸にいて震災を経験された。やがて京都をも襲うだろう大地震に、せめて崩落することのないよう、ほとんどの予算を耐震の補強に費やしても構わないと言う。このままでは、阪神・淡路大震災なみの揺れに際しては、おそらく家全体が開かれた路地の方に捩じれながら倒れるだろう。 家の奥に踏み入れば、家の三分の二を占めようかという石敷の土間に、座敷は四畳半が二間あるだけである。真中の吹き抜けた土間にくどと流しがあり、井筒が中央に座っていた。その昔は魚屋、あるいは豆腐屋だったのだろうか。煤けてほの暗い吹き抜けの台所に立てば、町家というよりは農家に居るという趣きだ。このゆったりとした空間の味わいを何とかそのままに残したい。ただし、生活に必要な最低限の水回りを拵え、一通りの耐震補強を行うだけで、予算は尽きるだろう。かなりの部分を学生たちとともにボランティア作業とせねばなるまい。できるだけ土間の空間を生かすこと、耐震的に有効であれば仕上げの程度には多少目をつぶってもらうこと、工期に余裕をいただくこと、などを条件に、この町家の改修をさせていただいた。
工務店と学生たちによる改修作業は、覚悟していた以上に日数がかかり、8ヶ月たったこの秋口にようやく完成した。学生は主に、土間の石はがし、土の梳きとり、そして土壁の竹小舞い編みと土壁塗り、ベンガラ塗りを担当した。
最後に、この欄をお借りして、最後まで手を抜かず仕事をしてくれた木村工務店のみなさんと、根気よく辛抱していただいたお施主ご夫妻、多忙の中を幾度も訪れて指導をしていただいた鈴木有先生、そして無報酬にもかかわらず、休みを返上して手伝ってくれた学生たちに、心より感謝の意を表したい。 2003.11.1
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