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京町家再生研究会

半世紀以上前に移築再建された京町家に住み続ける……三谷邸

磯野英生(成安造形大学教授)
 三谷さん御夫妻のお住まいは、二条城西北の堀端近くにある。この辺りは平安京のあった時代には、大内裏のほぼ内側にあったところだが、江戸時代は二条城の下屋敷があり、昭和の10年頃には宅地として整備された。お住まいのあるところは、ちょうどその境界当たりで、この町内の一般の歴史とは少し異なった歴史を持っているのかもしれない。
 お宅の前に自転車で乗り付けた時にその姿が眼に飛び込んできたが、昭和10年代に建てられたと思われるこの辺りの民家とは異なって、意外に思うほど古格をたたえているように思われた。縦格子は、木も枯れ、やや太く、間隔もゆったりとしている。かつては虫籠窓であったであろう中2階の土壁からもそうした印象が強く感じられた。

ファサード(撮影/磯野英生)
 お話は、三谷さんご夫婦にうかがった。このお宅は、三谷さんの父上がこの地にすでに建てられていたものを50年以上も前に買われた。四条河原町付近にあった町家を移築したと聞いているそうである。この町家を移築してまで住もうとした前の住み手の方の愛情と執着が切なくも快く感じられた。
 御夫妻は、奥にある離れの2階にずっと住んでこられた。平成9年に母屋に住んでおられた母上が亡くなられた後もしばらく離れで生活をしていたが、床の不具合が気になりだし、母屋に生活の場を移されることになった。
 ご主人は、自動車整備とサービスの仕事一筋で、30年以上勤務されてきた。2年前に病気になられたこともあって、賃貸住宅を兼ねた自宅に建て直すつもりになられた。ところがいざ建て直すとなると敷地の60%しか建てられないことがわかった。そうなると以前よりはるかに狭くなる。またハウジングメーカーにも相談し、展示場にも見に行かれ、今住んでおられる家の良さを改めて感じられた。伏見に住んでおられるお嬢さんが、今どきの家よりも古い家の良さを評価してくれたことも後押ししてくれた。そのお嬢さんがそうであるならとインターネットで調べられ、京町家作事組の存在を伝えてくれたそうである。この5月には、作事組のメンバーが訪問。傷んだところも十分直ると評価。作事組の山内工務店が工事を担当した。
 雨漏りが一部止まらなかったこともあり、屋根瓦は全部張り替えた。その時、瓦下の土が多すぎることもあったので、それを通常の量に戻すと、今まで具合の悪かった建具がスムーズに動くようになったそうだ。雨漏りによるシロアリの被害のあった東南隅の柱は補強し、一部の柱は根継ぎもおこなった。床もぐらぐらしていたので、根太は新しいものに取り替えた。畳は藁床のものにあえてこだわり計37枚全部新調した。襖も張り替えた。
玄関の漆喰壁と思われた白壁は、じつはご主人がペイントを塗ったもので、手の良い人はなんでもきれいにできるものだと感心させられた。瓦も雨漏りを止めるために一人でビニールシートを瓦の下に引き、止めたこともあったそうだ。
 今回の改修工事では、水回りにも重点をおいた。台所の流しやレンジは一式入れ替えた。便所は男女別々であったものを統合し、洋式トイレに替えた。風呂も少し大きくし、床や壁はタイル張りとした。
 庭には、ご主人の父上が植えられたという槇とキンモクセイの古木があり、そのかたわらにはサザンカとアオキが添えて植えられていた。
 中2階も併せて拝見した。この部屋は子供部屋に使われていたが、今でも息子さんが来られたときはこの部屋で寝泊まりされるそうである。
 ガラスの小さな天窓は、4つもあるそうで、やはり古い家であることが判るとのこと。
 東側を除いて、三方が道路に面しており、そのすべてがあまり車の通らぬこともあって、夜は静かであると聞いた。まわりが建て込んだ家とは違い、夏でも風通しの良さそうなところが、素敵である。玄関から通り庭にかけての土間も、幅のほどよい広さが快く、見上げると梁や柱の組み方にも時代が感じられる。締め上げたような着付けではなく、ゆったりと着込んだ風情が、この家の随所に見られる。表の玄関戸は栗のなぐりの戸であったそうだが、今は格子戸に替えられた。傷んでいたのかもしれないが、少し惜しいような気がした。赤く塗られた弁殻風の塗装も、紅をさしたようで美しいが、ほんものの弁殻を塗ることもこれから考えたいように思う。なぜなら木への吸い込みと定着がどうも違うように思えるからである。
 三谷さん御夫妻は、母屋と離れの改修工事が段取り上重なったため、離れにも母屋にも寝ることができなくなり、マンションに2週間ほど住んだことがあった。マンションは、便利で、住み手がお互い干渉もせず楽だが、隔離されたという思いがしたそうで、やはり今の住まいが良いと考えられたようである。
 おそらく江戸末期にはさかのぼりそうな古町家をあえて移築した前の持ち主の心持ちと、それを購入されて住んでおられた三谷さんのご両親、そしてさらにこれからも寿命の続く限り住み成していこうと決心された三谷さんご夫婦。その思いは今は別居されている息子さんやお嬢さんにも受け継がれていくに違いない。かけがえのないこうした一人一人の意志が着実に受け継がれ、ひとつひとつの町家が存続しているのだとしたら、京都もまんざら捨てたものではない。
○施主からひとこと
 「明るい気分で生きていきたい」というのが我々の基本的な考え方です。
 従って、改修工事をするに当り、家の中も既存のままでゆく処は別として、新たに色目を考える場所は、暗い色よりは、明るい色使いにしたいと思い、出来るだけ白系とアイボリーにしました。
 離れはあさぎ色(淡いみどり)の壁の部屋、オモテは本来落ちついた色がよいのかもわかりませんが、赤い弁殻格子、その上の壁はあさぎ色、玄関戸は白木の格子戸にしました。
 築70年以上の古い家、京町家作事組の山内工務店の皆様で2ヵ月かかって安心して住んでいける家に生まれ変わりました。あゝ、建て直さなくて良かったと思っています。


2004.9.1