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京町家再生研究会

御茶屋を艶のある住居に ─上七軒・井上邸

末川 協(再生研究会幹事)

ゲンカンのしつらえ
  上七軒の御茶屋を購入し住宅として改修された井上夫妻のお邸をお訪ねした。どんどん焼けを免れたこの地域には古い町家が今も残る。この御茶屋に生まれ、今も隣の路地奥に住む86歳のおばあさんによると、井上邸は記憶にある限り古い家だったそうで、創建が江戸期に遡る可能性もあるとのこと。特定できるのは明治5年の税務署の資料で、主屋と離れがともに御茶屋として記録されている。昭和30年代にミセ脇の女中部屋の増築などの改修があったものの、その時点でも現役の御茶屋としての改築であった。その後ある時期から住宅として使われ、しばらくの空家を経て後、夫妻が入手された。1階オモテが洋室に、2階オモテの格子が大壁になり、座敷に押入が、火袋に天井が加えられ、風呂が増築されていたが全体にはもとの形態を良く残していたそうである。階段がナカノマからミセに付け替えられた跡があったそうである。
 間口4間の一列4室、渡り廊下を介して奥に二階建ての離れがあり、元の客用の座敷は主屋の2階オモテに2室、オクに1室、離れの上下に2室の合計5室で、主屋1階のゲンカンより奥がもともとの女将の住むスペースであった。上七軒では鴨川沿いの花街に比べ間口が広く、個々の座敷も6帖から12帖と規模が大きい。ハシリも(文字通り)お茶だけを出す小さいものではなく、間口一間半で立派な火袋がある。建物の両側に路地を持つ。
 井上夫妻は文化財の修理技術者と大学教員という、共に建築のスペシャリストで、京都に住むなら町家と早くから決めておられた。そのために西陣界隈にエリアを限り、はじめはマンションに住まいながら地域で町家を探し、今の御宅に巡り会われた。何よりも御茶屋であったことが、購入、改修に向かう決め手になったそうである。
 「改修でのご苦労は?」という不躾な質問に、「一番はお金、次は設計」ということで、お二人共のこだわりが強い分、改修設計には多くの協議をされたそうである。それも「駐車場は絶対作らない」とか「渡り廊下の太鼓橋は屋外のままが良い」「ハシリに適当に手を入れるのではなく、そのままに残すがためにキッチンを別に設ける」「網戸は設けない」というような何処まで妥協を取り除くかの議論である。工事は知り合いの堂宮大工に頼み、お二人とも朝夕出勤前後に現場監理に通われた。夫君は自分でも木ずりを打ち、学生時代に左官屋でバイトをされていた腕を生かして鏝も振るわれた。そして工事に入れなかった西側の路地側を除き、構造改修を含む全面的な改修を成し遂げられた。マンションを引き払われ、ここに移られたのは今年の二月、「その時点でまだ外壁のない部屋がありました」と妻君は楽しそうに笑っておられた。「上塗り仕上げは今後の楽しみに、やはり御茶屋ですから」とは夫君。


母娘の図書室


離れ2階の座敷

 3つの座敷が夫君の書斎、お嬢さんの将来の勉強部屋、妻君の図書室に割り振られ、格の高い2階奥の2室の座敷はそのままに改修されている。畳の縁も襖紙もしっとり艶やかにまとまり、毎日の晩酌が御茶屋のお座敷を選んでできるとは、なんともうらやましい限りである。建具や造作材、家具もあちこちから良いものをもらってこられ、圧巻は図書室で、セセッションの図書館の扉が実際にはまっている。見学中に最後まで見つからなかったダイニングキッチンは実はミセノマにおかれていた。予想外の使われ方ながら、南面した千本格子から明るい陽が差す家族の憩いの部屋は本当に心地よい。
 全国町家再生交流会のプレイベント楽町楽家、その都ライトで御宅を公開され、上七軒のまちづくりにも取り組まれるご夫妻。網戸のない家で蚊に食われながら元気に走り回るお嬢さん。ここでも世代を超えて町家が継承されますよう。
2005.11.1