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京町家情報センター
京町家に移り住んで──高橋邸

 北山通りに面した、前の部分の形が少し変えられた町家に、工房と住居を定められた高橋さん。ここへたどり着くまでの経緯に、就職を控えた学生たちはいろいろ考えさせられたインタビューとなりました。
〈松井 薫(情報センター事務局長)〉

――ここへ住まわれるまでの経緯を聞かせていただけますか。
 この町家で工房をすることになったもともとのきっかけは、病気になったことだったんです。病気の関係で右半身が不自由になり、そのリハビリとして細かい作業を始めました。もともと、素描などもしていました。そして、リハビリを意識して螺鈿の作品作りを始め、倉敷で病気になったので、そこで個展を開いたりもさせていただいたんです。
 もともとは京都に住んでいたため、また京都ではじめたいと思い場所を探していたところ、知人のつながりで京町家情報センターを紹介してもらい、この町家に移り住みました。ここに決めた時には写真で見せていただいただけだったのですが、ここならやれると思い、すぐに決めました。

――町家という建物については、どのような印象をお持ちですか。
 やはり不便ではありますね。ちょっとトイレに行くにしても寒いところを通っていかなければならないですし。ただ、今が便利になりすぎているのであって、もともとの日本の暮らしはこういうものだったんですよね。
 ものづくりをする人間にとっての環境ということを考えても、現代的な管理された空間よりはこのように自然とつながっている環境のほうが、よいものや考えを生み出せると私は思っています。

――この工房ではどのような思いでお仕事をされているのでしょうか。
 私は、以前は和装の絵付けの仕事をしていたのですが、和装の世界では、商品がお客さんの手元に届くときには、職人の手間賃からすると考えられないような高価なものになってしまうという現実がありました。複雑になった今の流通の中では仕方のないことなのかもしれませんが、そんな仕事のあり方には、これからはしたくないと思ったんです。
 ここは、作業場でもあり、お客さんと相談しながら作品の構想を練る場でもあります。お客さんとは売る側、買う側、という関係ではなく、お客さんの意見を聞いてその場でこちらも意見を出して、一緒に作り上げていく、ということをしています。そうすることでお互いに楽しみながらものを作っていけますから、お客さんからも満足してもらえ、自分の作品作りが実感でき、ありがたいです。そうやって、お客さんにこの工房にきてよかったと思ってもらえるようでありたいですね。

――今後は、ここをどのような場にしていきたいと思われますか。
 ものづくりをしている人や、ものづくりを志している人も、多くこの工房を訪れてくれます。
 今は本当によいものがどんどん少なくなっているように思いますが、ここが創作活動を志す人の拠点のようにもなったらよいと思っています。同じ創作を志す仲間がいれば、私にとってもいい励みになりますし、お互いにプラスしあってみんなでいいものをつくっていけたらいいですね。
最近は徐々にですが、お客さんと、ものづくりをする人達とが、この町家を通じてしっかりとつながってきていることを実感します。病気になっていなければ、今の自分はなかったと思います。また、自分の意思で右半身も動かせるようになりました。「やりたいことがあるのに体が動かないつらさ」を味わったので、この感動は大きいです。

――ありがとうございました。