京都大学や平安神宮、美術館も程近く、鴨川から、東に入った閑静な住宅街。間口5.5間、出格子の残る京町家に引っ越して来られた、作家のいしいしんじさんにお話をお伺いしました。 〈岩本純一(丸吉住宅)〉 ――京町家を選ばれたきっかけは? 当初、町家(京都)に住むという考えは、ありませんでした。 以前は、仕事(物書き)の関係で信州の松本に住んでいたのですが、「冬には全てが凍る、松本よりも暖かい場所」という、漠然とした選択肢のなかで、園子さん(奥さん)の「京都はどう?」といった一言から、京都での家探しを始めました。インターネットを駆使して検索し、候補物件を検討して、数千件から5戸に絞りました。 その頃、友人が鴨川で芝居のイベントをやっており、京都へ来たのですが午前のイベントに遅刻してしまい、夕方のイベントまでの時間をどうしよう、と思案していた時、確か「家の一つがこの近く(鴨川)じゃなかった?」と思い出し、あたりをさまよっていると、足元に、ころころとボールが転がってきました。拾い上げて、「ハイっ」と、子供に手渡して、ふと見上げた家が、現在住んでいる家、ということになりました。 初めて、この家の中に入った瞬間、女性に包みこまれる空気を感じ、この家は女性なんだと思いました。京町家を選んだというより、結果的に住んだ家が京町家だったということになります。
小説を書いていると、家というよりも、「洞穴」「深い洞窟」のような「不思議なトンネル」の中いるようで、時間の長さや後ろに空間の広がりを感じます。また、常に誰かに見られているような感覚があります。 マンションと違って、ビミョーな家の傾きなど、家の癖があり、その家の癖を隠そうとしないところに、家に帰ってくると安心感があり、場所や、家が人格をもっているようで、「粗末に住めないという緊張感」もあります。 趣味の蓄音機をかけると、(イベントなどで、色々な場所で蓄音機をかけましたが)どこよりも、この家で蓄音機から流れてくる音が良く聞こえます。蓄音機と家とが共鳴するのでしょうか? ――逆に、不便を感じることは? 住まわしてもらっていて(歴史のある家に対して、敬意をはらっていますので)、不便ということは感じないです。家を粗末に扱うとしっぺ返しをくらいそうです。 不便とは思いませんが、階段が急で、窓(1階)を開けていると2階から直接外へ出て行くような感じにとらわれます(2階から1階へ下りた正面が、格子窓になっている)。 先日、三崎(三浦半島)の家を引き払って、たくさんの荷物がこの家にやってきたのですが、本やレコードなど結構な重量物もあり、どの程度、家が耐えられるのか?というのが少々不安といえば不安です。 ――ご近所とのお付き合いは如何ですか? この家に住む=(イコール)必然的に地域の一員になるということでしょう。ご近所の方からお土産を貰ったり、色々な連絡網も有ります。 子供も近所に10人程います。新参者の私は、子供より目下なんです。子供が先輩で、子供から色々と教えてもらいます。毎朝子供が家の前に集まり皆で登校します。子供のエネルギーがすごいですね。また、子供が大人達を結びつけるということも感じます。 ――「縁尋機妙」……不思議な縁のつながりを感じます。 実は、ノルウェーのディックさん(この家の前の入居者)と、偶然にもいしいさんが、一度お会いされていたそうです。家探し前で当然お互いに何の情報もない時期ですから、ビックリです。きっと、家が、いしいさんを呼んでいたのでしょう。 一つの縁を大切に育てていきたいですね。 2010.9.1
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