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京町家情報センター
契約事例
二年坂 
東山の二年坂の階段を上りきった所を右に折れ、八坂の塔の方向に石畳の道を歩いていくと、ゆるやかなカーブの先に手を入れてよみがえった京町家の店舗が見えてきます。玄関の引き戸の横には出窓風のショーウインドウがあり、ハンドメイドのアクセサリーが飾られています。元々大正年間の京町家で、東側の通り庭に面してミセの間、ダイドコ、ザシキと並び、その奥には庭があり、庭の端に便所がありました。今回、前2室を土間にしてハンドメイドアクセサリーの販売に、ザシキを制作工房に、2階を事務所に改装して使われています。 (2002.6)
夷川寺町東
もともと材木屋さんの建物だったものですが、前の借主が町家の形のままフランス料理の店として使われていました。通り庭に厨房としての配管がされていましたので、今回も料理屋さんが借りましたが、今度は日本料理の店としてリニューアルされました。1階の3室と2階の道路側、奥の座敷が客室となっており、京町家特有の落ち着いた、ゆったりした雰囲気の中で食事が楽しめます。 (2002.6)
大徳寺北
町家というよりは、どちらかというと農家に近いタイプの建物で、南側の通り庭に面して3室が並んでいて、背の低い2階があるのはおなじみの形なのですが、変わっているのは、通り庭の更に南にもう1本通り庭のような土間があり、井戸があるところです。借り主は、東京から引っ越してこられました。住みながら少しづつ自分たちで手を加えていこうとされています。 (2002.8)
大宮元誓願寺
このあたりは昔「千両ガ辻」といわれ、1日に千両もの大金が動いたとされる所で、オーナーの方も糸を商っておられました。このたび店を閉じられ空家になった町家を有効に活用できないだろうかと、作事組の事務局を通じての話がありました。早速見せてもらうと、大正の初め頃と思われる「表屋造り」で立派なものです。さらにその北側にも建物があり、これは壊して駐車場にでもしようという予定だったそうですが、見るとこちらのほうが古く、明治中期頃のもので、「二列三室型」の大変立派なものでした。壊すなんてとんでもない、ということになり、両方共の建物を使う人を探すことになりました。
 丁度、ユーザー登録を早い時期にされていた「町家でフリースクールをしたい」(現在も町家で学習支援教室をされており、ここに3ヵ月も通うと、学習効果ももちろん上がるのですが、それ以上に子ども達の生活行動が目に見えて落ち着いてくるのだそうです。こんなところにも町家空間のもつ「自然治癒力」みたいなものが発揮されています)方に、規模が少し大きいのですが南側でどうですかとお知らせしました。と同時にオーナー側にもこういう人がいるのでお知らせしようとしています、と伝えました。まず、オーナー側が大変共感され、ぜひ全面支援するから、フリースクールで使ってほしいと申し出があり、ユーザーも初めはその大きさと、価値を引き継ぐことの重さにしり込みされていたのですが、周りの意見も聞き、借りようと決心されました。こうして一軒の町家が引き継がれ、活用されることになりました。北側は現在、福祉関係に提案中です。 (2002.11)
醒ケ井六角下る
元米屋をされていた建物のオーナーから、空いているので賃貸に出したい、ついてはこの際、建物の傷みや傾きも直したい、との申し出があり、改修工事の計画が進んでいました。今回はその計画に割って入った形で、至急に事務所を探してほしいという方にとりあえず使っていただき、一段落したところで改修工事に入り、完成後も引き続き事務所として使用していただく予定です。土間の幅が広く、多目的に使えそうな空間を持っています。 (2002.9)