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京町家情報センター


(12) もっと光を
 ドイツの詩人・ゲーテの最後の言葉として知られている「もっと光を!(Mehr Licht!)」は、単に視野が暗くなってきたので、明るくしてくれ!といったのにすぎない、なんていう説もあるが、家の中でも明るくしたいところは出てくる。真ん中あたりのところとか、窓が取れない場所など。
 こんなときにはどうするか。トップライト(屋根面の明かり窓)を使う。暗いところほど有効なのがトップライトなのだが、直射日光が入るようなつけ方をすると、夏の盛りにはえらい目に合う。
 公衆トイレにもこのテのものがあり、全面トップライトだったりする。とっても明るいのだけれど、夏は狭い個室にこもっていると、もうヤケクソの気分になる。暑い!
 太陽の熱エネルギーを直接浴びるのは考え物で、太陽の光エネルギーだけを頂戴するようにしたほうがいい。要するに北向きの流れの屋根にトップライトをつけるようにするのが順当なところ。トップライトなんてカタカナで言わなくても、以前から「天窓」があった。
 戦前の都市型住宅である、京町家は間口が狭く、奥行きが極端に長い。そのため、真ん中あたりは十分に自然光が入らない。そこで通り庭の上部、火袋と呼ばれる吹き抜けに天窓をつけた。あるいは、中庭(坪庭)を設けて、光を入れた。
 これは中央部の暗いところでは劇的な効果がある。
 京町家のように、奥行き方向に長い水平性をもつ空間に、ところどころ上から強烈な光が降りてくるのは、別の効果もある。天窓からの光は視覚に訴えて、家の中に垂直に抜けるところがあるのを意識させることになり、それは天に通じているという意識につながる。意識としては床の間の上や神棚の上も垂直に天に通じている。この意識付けが、京町家に住む人たちの生活行動を律しているのではないか、と私は考えている。
 すなわち、誰が見ているわけでもないが、やるべきこととして日常生活で決められたことを、手を抜かずに丁寧にやる。そういうことを当たり前としているのは、天に抜けている「天窓」があるからだ、と。ここでは天窓は光を入れるだけでなく、生活の基本に深くかかわっている。

(2011.8.21京都新聞掲載)