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京町家情報センター


(13) 必要なだけ
 少し前までのわれわれの住宅はコンパクトにできていた。狭い日本のそれも限られた都市での生活は、限られた空間をいかにうまく使うかが大切だった。
 ひとつの部屋が、折り畳み式の円卓を出して食事の場所になり、布団を敷いて寝る場所になった。
 普段の生活のバリエーションに対応するだけでなく、赤ちゃんが生まれる場所や祭りの空間、お客さんをお迎えする場所になり、正月や年中行事のハレの場所としても使われる。また病室にもなり、葬式の会場ともなる。非常に多様性のある使い方をしていた。
 それを可能にしていたのが、簡単に取り外せる仕切り(ふすまや障子)であり、ついたてをはじめとするさまざまな「しつらえ」の道具類と、それをしまう収納場所があったことだ。全体に物が少なかったせいもあるが、これだけの機能を満載していても部屋は広々としていた。まさに必要なものが必要なだけ用意されていたということだろう。
 現代の住宅は、寝るところは寝室、食事はダイニング、子供たちの勉強は子供部屋と、一つの部屋に一つの機能を受け持たせ、人が必要な部屋へと移動する。人生の初めと終わりはそれぞれ産婦人科の病院と葬儀ホールであり、病気のときは病院へ、ハレの行事は、家で手間をかけるよりホテルなど外の施設を使ってしまう。
 ドアによって区切られた家の中は、そう簡単には空間を大きくしたり小さくしたりできない。以前に比べ1人当たりの面積は増えているのに、ちゃんとした接客の場がないし、床の間も庭もない。そのくせ物があふれて、家が狭いと感じる。
 さらに日常、家に意識が行かないため、狭いはずの家の中も管理できてない。ちょっと便利と追いかけていった結果、こうなった。
 一例を調理で熱を加える装置で見ると、おくどさんで薪を使っていたものが、炭になり都市ガスを使ったこんろになり、電気を使ったこんろ、電子レンジ、電磁調理器が併用されるようになると、家の中の部屋と同じように、一目的一器具の使い方がされるようになってどんどん器具が増えていく。ちょっとした手間を省き、ちょっとした時間を節約するために、生活する上での基本的な技能が失われ、物があふれる質の低い(重層的に使えない)家空間が作られてしまう。「本当に必要なもの」はどのあたりに線を引けばいいのだろうと考える。

(2011.8.28京都新聞掲載)