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京町家情報センター


(14) 行ったり来たり
 家には庭がどうしても必要だ。それは家というのは、あの世とこの世を行ったり来たりする場所だからだ。えーっ、と思われるかもしれないが、とても大切な家の機能である。その機能を受け持つのが庭だ。
 もう少し言い換えれば、〈あの世=非日常〉と〈この世=日常〉との行ったり来たり。さらに言えば、社会的な時間と自然の時間を行ったり来たりする。
 家は玄関で道路につながっており、玄関という出入り口がある。こちらの世界は、人間がいろいろな約束事を作って、その範囲の中でいろいろと動いている世界。日本標準時により、今日は何月何日の何時何分というように時が決められている。この世界での価値基準は、お金である。ともすればこの世界にばかり目がいきがちである。
 一方、伝統的な日本の家には、どんな小さな長屋住まいでも、もう一方の奥に庭がある。ここには自然の時間が流れている。何月何日と約束したから花を咲かせましょう、というのではなく、時が来れば花が咲き、時が去れば葉が散ってゆく。
 この世界の価値基準は、今すでにあるものを必要なだけ、無駄をせずに、汚さないで不要なものをできるだけ作らない、といった自然のおきてである。
 人間は社会に出て、お金を稼ぐことも、社会生活の上では必要なことだが、一方でそういった社会の仕組みが成り立っている大前提に、自然界があることを知っておかねばならない。家はこの二つの価値基準の間を行ったり来たりすることで、複眼で物を見ることができるように作られている。いや、作られなければならない。
 現代の流行の気密性の高い住宅では、換気も機械に頼っていて、窓を開けて換気をする意識をそいでいる。自然と庭への意識も薄い。庭とは名ばかりで家の周りにある空いたスペース、程度の認識しかないのも多く見られる。
 マンションにいたっては、庭すらない。これらは社会的時間にのみ開いた住宅なので、効率よく稼ぐための道具として作られている。複眼で物を見られないのだ。
 ムリをして働いて、疲れが取れなくなったあなた、自分の中の自然に目覚めたあなた、そろそろ複眼の家に引っ越さなくては!

(2011.9.4京都新聞掲載)