• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会
山田 公子(前楽町楽家実行委員・京町家友の会事務局)

「楽町楽家2012」への軌跡と継承

 2005年に始まった「楽町楽家」は、2010年まで毎年催され、結果6回に亘った。当初5年間続けるとの約束をしたものの、催しの規模は年々大きくなり、いろいろな意味で4年目ですでに達成感に満たされていた(「京町家通信vol.58」2008.5.1発行号参照)。そして2009年の秋、5年目を終えた楽町楽家実行委員には安堵の気持ちとともに心身の疲れが残っていた。が、楽町楽家に対しての期待は大きく、また次の年もやることとなった。救いは町家に熱き想いを持つ若者たちが一つのグループを作り、楽町楽家に積極的に関わってくれる意思を示してくれたことであった(「京町家通信vol.67」2009.11.1発行号参照)。

 そして、6回目にあたる2010年は、その若者たち「町家暮らし集団 CHOBO」にバトンを渡す準備の年となった。まず目に見えるものからと、それまで大好評で、それこそ楽町楽家の顔と言っても過言でないポスターのイラストを変更した。賛否両論あること承知の上で、これまでとは変わっていくことを見せなければいけなかった。ところが、いかんせん催しの内容は変えていなかった。というか、それまでを踏襲するだけで精一杯であった。その上、参加してくださるお家や新たなお店は一段と増え、そこで行なわれる催しも実行委員会として把握しきれないほど増えていた。目は行き届かず、そうなると何か事が起こっても責任もとりづらい。CHOBOのメンバーには結局手足としての関わりしか持ってもらわないままで、その年を終えてしまった。バトンを渡そうとしなかった自分に不満が残る。が、このような催し内容と規模では彼らにバトンを渡そうにも渡せない。何かが違ってきている。何が違ってきているのか、それは彼らに考えてもらおうと思った。そして、そのためには時間が必要だ。2011年は楽町楽家を中止することにした。1年の間を置くことで次年の準備に追われることなく、誰もが一旦冷静になれるはずだ。

 当初の「楽町楽家」は、第一回全国町家再生交流会のプレイベントという意味もあり、コンサートやアートイベント等を行なうことで町家の持つ空間としての可能性を探った内容であった。その好評を受けての次の年からの「楽町楽家」は、住まいとしての町家の良さを体感してもらうためということで、まずは町家の中に足を踏み入れてもらう仕掛けとして、やはりコンサートやアートイベント、ワークショップ等々さまざまな催しを行なった。が、この5,6年の間に町家でコンサート、あるいは町家でワークショップなどは「楽町楽家」に限らず、さまざまな人がさまざまな町家で催す日常のイベントとなり、町家で催しをすることに何ら特別な印象がなくなってきていた。その催しを行なう目的や主催者の想いが違っていても、表面的には「町家で○○」にしか過ぎず、町家がホールと同じくただの会場と化してしまいそうであった。「楽町楽家」は、それらと同じに思われてはいけない。コンサートやワークショップが目的ではない。住まいとしての町家の良さをわかってもらい、町家に住みたい人、住む人を増やすために行なう催しであるべき「楽町楽家」とは?

 CHOBOが打ち出してきたのは、「町家暮らし、はじめませんか。」だった。「楽町楽家2012」は、今一度原点に戻り、「住まいとしての町家」の魅力、そして、町家とそこに暮らす人々を含めた未来への可能性を発信していけたらということだ。町家暮らしを楽しむ人と人が繋がり、その輪が広がっていくイメージだ。町家に興味がある参加者との交流を図るためというオープンハウス協力への呼びかけに対しては予想以上に多くの京町家友の会会員さんから反応があった。(催し詳細はこちらを参照)

 「京町家通信vol.58」で私は次のように書いている。「『楽町楽家』は、できれば後を任せる人が出て今後も続けてほしいと思っている。形や規模は多少変わっても、その基本となるべき想いが変わらなければ優れたイベントとして多くの共感を得られるはずである。しかしまた『町家を体感してください』という催しをいつまでもすることは不本意なことである。町家の良さは、わざわざよそのお宅を訪ねなくとも、自分の住まいで充分わかっているという人がもっともっと増えることこそが本来の目的なのだから……」。

 そう、今年の「楽町楽家2012」は、本来の想いにまた一歩近づいた催しとなるに違いない。また、そうなることを願っている。

2012.5.1