![]() ![]() ※「京の菓子暦」は、平成14年(〜15年)の取材記事です。
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和菓子は京都人の毎日の暮らしに密接に結びつき、生活と心を豊かにしてくれています。毎月のお菓子を紹介しながら、その奥にある京都の知恵と文化を探れたらと思います。 |
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![]() ◆カステラ
「粕亭良」「加寿天以羅」「加寿庭良」「佳州帝良」、そして大和言葉が美しい「春庭良」。 ボーロ(Bolo)やコンペイトウ(Confeito)と共に、天正の頃に南蛮菓子として長崎に伝えられたというカステラは、ルーツは外国でも、日本で育ったお菓子なので、和菓子と考えて間違いないようです。実際、私たちの知っている「カステラ」は、日本にしかないお菓子なのです。もともとはスペインのカスティーリャで作られたお菓子であると言われていますが、ポルトガルのパン・デ・ローとスペインのビスコッチョというお菓子がそのルーツのようです。それらは、基本材料が小麦粉と砂糖と卵だけというのは同じなのですが、見た目や味は現在のカステラとは全く異なるお菓子です。
長崎にあるカステラの老舗は、江戸時代初期にポルトガル人からカステラの製法を伝授されたといわれていますが、現在のようなカステラが出来るようになったのは、明治以降のことです。釜が発達し、味や食感も日本人の口に合うように改良されて、全国に広まっていったのです。 以前は、炭釜(引き釜)と呼ばれる炭火を用いて、カステラ生地を入れた型の上下から直火でじっくりと焼いていましたが、明治以降は炭火が電気に変わり、オーヴンを使うようになりました。
また、江戸時代は、小麦粉と砂糖と卵だけを材料としていたので、どちらかというとパサパサとした食感のものだったようですが、明治時代になって、材料も良質のものが手に入り、またそこに蜂蜜や水飴を加えるようになって、現在のように、私たちの口に合うしっとりとした柔らかな口当たりのものが出来るようになったようです。東京には、江戸時代のカステラに近い、味・色彩ともに淡白で、さっくりとしたカステラも残っているようです。 江戸時代の文献から写したものと思われますが、カステラの食し方に、 ○寒い時には、お湯を差して食す。 ○暑い時には、冷水を差して食す。 ○酒の肴には、大根おろしとワサビを添えて食す。 などと書かれています。このことからも、当時のカステラが今のそれとは質、風味ともに異なるものだったことがわかります。
何とも驚くことに、カステラは、職人さんひとりで最初から最後の仕上げまで、かかりっきりで作るのだそうです。卵を割って白身と黄身に分け、白身を充分に泡立てる別立て法で作ることで、いわゆる膨張剤を使わなくても、ふっくらと仕上げることが出来るのです。また、卵黄を多い目に入れることで豊かな風味と色、コクを出すことが出来ます。そして、砂糖が防腐剤の役目になって、添加物を加えなくても日持ちが良いのです。 このようにカステラは、選りすぐりの材料を用いて、心を込めた手作りの最高級の食品なのです。結婚の内祝いのお菓子としても喜ばれ、また昔から病気の方には最適なお見舞い品とされてきました。また、風邪を引いて食欲のない時や、遅くまで勉強する時の夜食にも、暖かいミルクやコーヒー、紅茶、そして日本茶にも合う、とっても重宝なお菓子です。日本茶にも合うのは、材料にバターが使われてないからのようですが、それなら太る心配も少なくてすみそうです。少し時間が経って、ちょっと固くなったかなと思ったら、オーブントースターで軽くあぶってみてください。また元のようにふっくらとして、美味しくいただけます。抹茶入りホットミルクとともに、是非試してみてくださいね。
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協力:大極殿本舗・六角店「栖園」 京都市中京区六角通高倉東入る南側 |
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